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スポーツとテクノロジーの繊細な未来

西薗 良太
NTT コミュニケーション科学基礎研究 リサーチスペシャリスト

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 NTTコミュニケーション科学基礎研究所,柏野多様脳特別研究室にてリサーチスペシャリストとして研究に従事している西薗良太と申します.20代は学部在学中からロードレースという競技にのめりこみ,卒業後はプロ選手として本場ヨーロッパ各地はもとより,アジア・中東・北米など世界各地を転戦する日々を送りました.各方面よりサポートにも恵まれ,全日本選手権で3回優勝し,アジア選手権代表なども務めさせていただきました.現場で競技の発展をつぶさに目撃し,「スポーツテックをどう解釈するのか,どう取り入れるのか」に明日の飯がかかっていた立場として意見を書かせていただきます.

 バイオメカニクス・流体力学・運動生理学の貢献が自転車競技に与える影響は凄まじく,これらを現場で実装する上では常に情報処理技術が大きな役割を果たしてきました.特にサイクリングの世界で9割のメディアカバレッジを占めるといわれるツール・ド・フランスのような大一番では,コースを綿密に視察し,生理学的に必要とされる数値を割り出し,トレーニングはそれを実行できるように細かく調整が行われ,本番では想定したパワーで決まった時間走ることが求められるといったようなことが実際に行われるようになりました.そしてこれらの技術が選手の主体性を覆い隠し,レースのダイナミクスを奪ったと批判されるまでに出世?しました.

 野球の世界でもまず統計からハックが始まり,近年では弊研究室でも解明が進んでいるように投球に対応した意思決定のタイミングや,物理的な球速と心理的な球速のギャップなど,現場では知られていたものの,謎もしくはアートとされていた技術が徐々に解き明かされ勝負を決めるようになってきています.このような取り組みは初期段階でこそ少数の予算が少ないチームの秘策として行われますが,一度その有効性が実証されると予算のあるチームが構造的に実施することで番狂わせがなくなり,順位や勝負展開を固定化する一因となりつつあります.

 技術が全体のエコシステムをも変え,システム本来の価値そのものを問うという流れはIT に携わる人々であれば誰もが見た景色かもしれません.各中央競技団体では技術的なルールをうまくコントロールすることによって競技の持つ魅力が失われないように対応するようになってきました.そのために競技の魅力とテックの持つ可能性両方を深く考察できる人材が必要とされています.スポーツは人間社会に必須のものではありません.医療や食料品,政治のような形で人類をサポートすることはできません.それはこのコロナ禍ではっきりとしました.それにもかかわらず誰もがその結果に一喜一憂し,ストーリーを共有し,希望を見出します.スポーツの中での技術を考えることは,人間と技術の本質を考えることになると信じています.

(「情報処理」Vol.61 No.9掲載)

■ 西薗 良太
NTT コミュニケーション科学基礎研究 リサーチスペシャリスト
1987 年生まれ.東京大学工学部在学中に学生選手権全国優勝3 回.学部卒業後プロチームに加入.2012,16,17 年に全日本選手権タイムトライアル優勝.東京大学大学院情報理工学系研究科修了,修士(情報理工学).2020年より現職.