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ネットの誹謗中傷問題は解消するのか?〜プロバイダ責任制限法改正と今後の課題〜

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小向太郎(中央大学国際情報学部)

誹謗中傷とプロバイダ責任制限法改正

 インターネット上の誹謗中傷問題が,注目されている.去年は,SNS上で激しい個人攻撃を大量に受け,自ら命を絶ったという痛ましいニュースが大きく報じられた.また,新型コロナウイルス感染症などに関する,社会不安をあおるようなデマや誹謗中傷も,あとをたたない.

 この問題について,総務省は「インターネット上の誹謗中傷への対応に関する政策パッケージ」を掲げて政策を推進しており,2021年4月にはプロバイダ責任制限法を改正して,発信者情報開示制度の見直しを行っている.

 誹謗中傷等の被害者が法的な責任を追及しようとしても,発信者の情報が入手できなければ提訴ができない.プロバイダ責任制限法(正式名称:特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限および発信者情報の開示に関する法律)は,発信者情報開示請求の制度を設けている.しかし,情報が発信されているSNSや掲示板の管理者には,IPアドレス等のアクセス情報しか分からないことも多い.そのIPアドレスを誰が使っていたのかを確認するためには,インターネット接続を提供しているISP等にも開示請求を行う必要がある.したがって,被害者が発信者の情報を取得するには,複数の事業者に対して訴訟を起こさなければならない.これは費用や時間の面で大変なコストがかかるため,より簡便な手続きによって発信者の情報開示を求める制度が求められていた.

 今回の法改正によって,「新たな裁判手続き(非訟手続)」が新設され,裁判所が1つの手続きで複数の事業者に,開示命令を出せるようになる.また,ツイッター等のSNS事業者がサービスにログインしたときの情報(IPアドレス等)しか保存していない実態を踏まえて,ログイン時の情報も開示対象としている.さらに,請求を受けた際の発信者への意見照会では,開示を拒否する理由もあわせて問い合わせることになった.

 新しい制度によって開示手続きの迅速化が期待されるが,実際に発信者情報開示請求訴訟に携わってきた実務家からは,本当に時間やコストの削減になるのか,懸念する声もあがっている.たとえば,開示請求にあたっては,事業者のシステムや運用を踏まえて,適切に開示対象情報を特定する必要がある.また,発信者情報開示請求は海外の事業者に対して行うことも多く,そのための手続なども相手国によって異なる.裁判所が,それぞれの事案に応じて,どの程度踏み込んで行ってくれるかということになる.いずれにしても,今後の運営が非常に重要になる.

欧米の議論と媒介者責任

 ところで,インターネット上の不適切な情報については,欧米でも活発に議論がされている.米国ではISPやSNS事業者が原則として免責されることを定めた通信品位法230条(CDA : Communication Decency Act, 47 U.S.C. §230)が厳しい非難にさらされ,改正が議論されている.欧州委員会が2020年12月に公表したデジタルサービス法案(Proposed Regulation on Digital Service Act, COM/2020/825)でも,事業者の義務を明確化する規定が提案されている.これらの議論で中心になっている論点は,次のようなものである.

①事業者はどういう場合に削除等の義務を負うべきか
②事業者はどういう場合に削除等の権限を持つべきか
③明らかに違法な情報以外についても対応を求めるべきか

 日本では,こういった削除義務や削除権限に関する議論は必要ないのか,そもそもどのような場合に法的な削除請求等が認められているのか,こういった疑問が湧いてこないだろうか.

 電子掲示板上で誹謗中傷が行われたことについて管理者の責任が問われた場合に,裁判所は,管理者に削除義務があるのに削除をしていないのであれば責任を負う,という考え方をとってきた(ニフティ現代思想フォーラム事件・東京高判平成13年9月5日,産能大学事件・東京地判平成20年10月1日等).権利侵害について知っているか,当然知ることができたであろうと思われる場合に,一定の期待される対応を行わなかった事業者が損害賠償責任を負うのは,このような場合には削除等を行う法的義務があると考えられているからである.

 ただし,権利侵害等を助長するような「匿名掲示板」については,損害発生を防止する義務があるとして,常に注意を払い,権利侵害があれば直ちに削除する義務があるとしている(2チャンネル対動物病院事件・東京高判平14・12・25,学校裏サイト事件・大阪地判平20・5・23等).

 一方で,ツイッター等の大きなプラットフォーム事業者に対しては,プラットフォーム上の情報発信について損害賠償請求を求めて争われることがほとんどなく,情報の削除だけが請求されることが多い.ツイッターに対してプライバシーにかかわる投稿の削除を求めた事案では,「当該事実を公表されない法的利益と各投稿記事を一般の閲覧に供し続ける理由に関する諸事情を比較衡量して判断すべき」であり,削除を求めることができるのは,「比較衡量の結果,当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合」に限られるとしている (ツイッター投稿削除請求事件:東京高判令和2年6月29日).

 このように,SNS等の媒介者に情報の削除を求めた場合に請求が認められるのかどうかは,その媒介者の性格によって結論が異なる.しかし,どの事業者がどのような義務を負うのかについて,明確な判断指標があるわけではない.プロバイダ責任制限法も,責任が問われない条件を限定的に規定しているに過ぎず,どのような場合に削除を求めることができるのかについて,答えを示すものになっていない.

媒介者責任に関するルール

 日本におけるインターネット上の誹謗中傷対策で,制度的な見直しが具体的に検討されているのは,発信者情報開示請求についてだけである.もちろん,相手方が分からないために,被害を受けた人が法的救済を受けられないような事態は,なくさなければならない.ただし,そもそも日本で訴訟を起こすことは,少なくとも一般人にとってかなりハードルが高い.発信者情報開示請求制度の改善だけで,誹謗中傷問題が解決すると考えるのは無理がある.
 現在のところ,その他の問題については,リテラシーの向上,事業者の自主規制,苦情対応の改善といった,いわば自主的な取り組みによって解決しようとしている.法的な媒介者責任の在り方については,自主的取り組みが有効に機能していると認識されているためか,そもそも問題になるプラットフォームが米国のものだからか,総務省の所掌ではないからか,あまり検討されていない.

 しかし,プラットフォーム,SNS,ISPといった媒介者が,対応の基本方針を考える際に,最も重視する基準は,自社にどのような法的義務・権限があるかということである.訴訟外の対応についても,いわばデフォルト状態を作る効果がある.それにもかかわらず,日本では,事業者の削除義務や削除権限について,法的な基準が明確になっておらず,十分な議論も行われていないのが現状である.

 インターネット上を流通する情報は今後も増大し,それによる問題はより深刻なものになっていく.インターネット上の媒介者責任についても,立法等による明確化を検討すべきである.

(2021年7月16日受付)
(2021年7月28日note公開)

小向太郎(正会員)
中央大学国際情報学部教授.情報通信総合研究所取締役法制度研究部長,早稲田大学客員准教授,日本大学教授等を経て,2020年より現職.1990年代初めから,情報化の進展によってもたらされる法制度上の問題をテーマとして幅広く研究を行う.著書として『情報法入門(第5版)デジタル・ネットワークの法律』(NTT出版,2020年),『概説GDPR─世界を揺るがす個人情報保護制度』(共著,NTT出版,2019年)など.