生きる意味

なんで死んじゃいけないんですか?
生きる意味ってなんですか?


という問いの答えを、ずっと考えている。
答えはわからない。

本当は、「死んではいけない」のではなく、
「死なないで欲しい」だけなのだと思う。
守るべきルールではなく、願い。



生きる意味は、
人間の歴史何千年も、
あるいはもっと、
答えは分からないまま。
だから人はその意味を求めて、
宗教やそれに似たものができる。
なぜ生まれたのか。
なぜ生きているのか。

人間の永遠のテーマだ。



ただ、生まれて、生きている、という事実。
動物は、そこに意味なんて考えない。
全てに意味があって、そして全てに意味などない。

こんな混沌とした思いを抱えながら生きていくのが
人間なのではないか。

ある人は、生きる意味は人の役に立つことだと言った。
またある人は、生きる意味は自動的に与えられるものではなく、自分で探すものだといった。

私は、「探す」というよりも、「見出すこと」であると考えている。
「どこかにある」ものではなく、「常にこの場所に、ある」と考えたい。
そして、生きる意味は決して1つではないと思う。
謎解きではないから、答えはない。
自分が、「このために生きているんだ」「これが私の生きる意味だ」と感じられることは、大げさなものではなく、日々の中にあるのではないか。
好きな人と手を繋げたとき、美味しいものを食べたとき、美しい景色を見たとき、愛しい子どもの寝顔を見たとき、朝の空気が美味しいとき。
「あぁ、これが私の生きる意味だ」と、感じる瞬間があるのではないか。

生きる意味を探し続けるのは、果てしない。
「自分探し」もそうだ。
自分を探すためにわざわざ遠くへ行かなくても、いろんなことをしなくても、自分は常にそこにいるのだから。
そこに立ち止まっている自分こそが、自分そのものなのだから。

全てのものが、日々新しい。
立ち止まっていても、進んでいても、駆け抜けていても、
日々確実に新しくなっている。
昨日まで知らなかったことを、今日は知っているのだから。
昨日という日の自分と世界を、知っているのだから。

だから私は毎日、「今日この日のために、昨日までを生きてきた」と思いたい。

(2017.3)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?