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なき虫


とにかく泣くこだった
一日絶対に一回は泣く 泣くといったらわたし
わたしといったら泣く みたいな
恥ずかしいと思いながらも 悲しいことびっくりすることあるとみんなみたいに泣かないということができなかった

でも学年が上がり、泣き虫のわたしを
泣いたらダメだという理由でその時の担任に
給食中立たされていた

すごくすごく嫌で、泣いていたけど悔しくて机に戻らされたとき 反抗心で給食を食べなかった
ひたすら泣いていた いや睨んでいた  あの泣き方は哀じゃなかった あの時間は すごく孤独だった 永遠だった

あれからわたしは人前で泣くことがあまりなくなった
はじめてのアルバイト、ケーキ屋さんではたらいたときは「ポーカーフェイス」というあだ名をつけられていた

思っていることと、反応が違かったり
思うように反応ができなくて
だんだん、そんなことを繰り返してるうちに
わかってもらえない が当たり前のもので前提になっていった

今はそんなことないと思ってたけど、根本がこれだから

なんでこんなこと思い出すんだろう
寝る前に今急にふと思い出した

自分のこと、聞いてもらってもわたし自身分からないことがたくさんあると思った
わからないわけじゃない、いろんな感情があるから どんな感じに説明したらいいのかわからない

言葉が破滅的に下手くそだ

最近アルバム制作に当たって、色んな人に相談させてもらってて、

目標とか野望はないの?って聞かれた

わたしはう〜ん…ってうまく言えなかった

武道館とか横浜アリーナとか言えたらかっこいいんだろうけど


ずっと続けたいと思ってる


有名になりたいとか目立ちたいとかの欲はない


ただ、いまでもずっとあの日のわたしに、
あの日とあの日とあの日とあの日とあの日のわたしに
ひとりぼっちだったわたしに
寄り添えるような存在になりたい

そんな人がもしいたなら、

ひとりの時間にただ寄り添える存在になりたい
哀でも楽でも

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