想像力を鍛えることはできるのか?

なぜこのテーマを考えているのか

当初は、想像力がビジネスに役立つと考えていた。「顧客のニーズはどこにあるのか」、「会社はこの先どこに向かえば良いのか」、「これから起こりうる問題が何で先手を打つことができないか」。「今私に求められていることは何か」、「私は今何をすべきなのか」も想像の範疇にある。そして、(僕が知る限り)ビジネスで活躍している人達は、想像に長けて期待を上回る成果を出している一方で、想像することができず、期待通りのパフォーマンスを発揮できない場面をみてきたし、自分自身の経験としてもある。観えないものを観ることができる人達は、大きな成果を出している実感がある。(大きな成果は役職だけでくくることはできないが、成果への期待大きいと考えることが一般的で、役職が上がるにつれて、全てを自身で知ることはできなくなるので、観えていないことを観る、つまり想像することがより求められると思う)

想像力がビジネスに役立つと考えたことが出発点ではあるが、豊かな人生を送るには、良い意思決定が必要だからとも考えている。人生の分岐点に立った時に直感だけで選択することも悪くないし、個人的には好きなスタイルだが、少しの想像を働かせることができれば、より良い選択をすることは可能だと思う。例えば、今この瞬間にある土地が値上がりしているからといって、その土地を即買いすることはリスクが大きい。「将来的にその土地がどうなっているか」、「将来、自分がその土地をどう活用しているか」を想像した上で購入するしないを決断することのメリットは大いにあると思料する。人生の分岐点になる土地の購入のみならず、車や自転車の運転などの日々の生活の中にも想像ができると良い選択ができると思う。車を運転していて左折する際に、「ミラーの死角にバイクがいるのではないか」と想像すれば、ミラーだけでなく直接目視をして確認をしたり、直前にウィンカーを出して急に左折するのではなく、十分に手前から左折する意思を示してから左折することで事故を回避することができる。事故を起こすと命を落とす危険もあるし、賠償や事故の処理への対応などもあり、事故は起こさないことに越したことはない。

想像するとはどういうことか

まず、想像は、物理的に観ることができないできないこと頭に描くことだと考えている。先ほどの、「土地が将来的にどうなっているか」、「ミラーの死角にバイクがいるのではないか」は、今その瞬間に見えていないことを認識していることである。次に、ヒトなど生物の感情も、想像する範疇にあると考える。例えば、陸上競技トラックを汗を垂らしながらひたすら走っている人を観た時に「目標に向かって頑張っているんだな」と考える人もいれば「辛そう」と考える人がいると思う。後者は感情や心情を汲み取っている。相手が期待していることを汲み取ることも近しいものに映るが、似て非なるものだと考える。期待は、「嬉しい」や「楽しい」などの感情ではなく、こうして欲しい、こうあって欲しいという「意思」だからである。忖度を
しているということは、無意識に近いと思うが「この人はこうして欲しいんだな」と(勝手に)想像をしていることである。

かなり強引だが、「想像する」をまとめる。

過去や未来にあるものを観ること。
空間的に離れていることを観ること。
ヒトの感情を観ること。
ヒトの意思を観ること。

先ほどの事例の通り、この4つは単体で現れることは多々ある。しかし、この4つが複合的に重なった事象も存在する。際たる例は、自分自身のことだと思う。「将来どうなって、どこで何をしていて、どんな気持ちで、どうしていたいのか」。究極的には、自分自身のことを観る(知る)ことは、想像力が最も役にたつ場面かもしれない。

想像するために必要なこと

まず、ヒトの感情から考えてみる。嬉しい、悲しい、はたまた悔しいという感情をどうすれば観ることができるのか。私の結論を先に述べると、「その感情を知っていること」である。自分が経験した範囲でしか感情はわからないと思う。例えば、悔しい経験をしたことがないヒトは悔しいという気持ちがわからない。試合で負けた時、資格試験の合格点に達しなかった時など、自分の努力が成果に結びつかなった時の感情である。同様に、悦びを経験したことないヒトは悦びがわからず、感謝を経験したことない人は感謝の気持ちがわからない。だから、ヒトの感情を観るためには、感情を自身が体験して知っておくことが必要である。

次に、ヒトの意思を観ることについて考える。
これは、非常に難しい。結論は感情と同じではないかと思う。自分自身が、どうしたかった、どう考えたかを認識しておくことで、相手が何を考えていることが観える。(この点は、後述で補足する)

最後に、時間と空間が離れている事象をどうすれば観ることができるかを、まとめて考える。これについては、以下の事例から考えてみるとわかりやすいかもしれない。

よちよち歩きの子供が一人で歩道を歩いている。徐々に道路側に向かっている。

これを観て、「危ない(ことが起こる)」と考えることは想像していることである。ではなぜ、「危ない」と考えることができるのか。一つは、ヒトは車にはねられたら、死ぬことを知っているからだ(ここではあえて死に限定する)。車ではねられて死んだヒトのことをニュースで知っているかもしれないし、本で読んだかもしれない。身近な事例で知っているかもしれない。これは自分自身が経験していない知識が想像のベースになっていることを示唆していると考える。

次に、土地の購入の事例について考える。
ある土地が値上がりするか、どうか。これは単純な知識だけで、精度高く想像することは難しい。例えば、過去にオリンピックが開催された後の20年は土地が値上がりするという知識があったとする。この知識だけでは正確な想像に至るには限界がある。土地の価値に影響を与える要素は、オリンピックの開催有無のみならず、人口変動、経済状況、安全を含む政治的な状況など、様々な要素を含むからだ。このような事象を想像するためには、対象としている事象に関連する要素を把握して、それらが時間と共にどのような因果関係を成すかを考える。つまり、A→B→Cと物事を繋げて考える、A→B,B→Cなら、A→B→Cと繋げていくこと(A→Cとなることもある)が求められる。土地の値段は要因が複雑に関連するので、A→B→Cというシンプルな考えだけでないが、要約すると演繹や帰納的な考え方になると思う。事象をつなげることができれば、それを遡ると時間を戻すことにつながる。
このつなげる力は、「ヒトの意思を観る」に関連があると思う。例えば、ある目的がわかっていて、その人の立場を知っていれば、今どうしたいとか将来どうしたいと思うことは、事象をつなげることで観えてくるからだ。

以上の考察から、想像するために必要なことは次の通りである。

1. 経験した知識(悔しさを知る)
2. 経験していない知識(車にはねられると死ぬ)
3. 事象をつなげる力

想像力を鍛えるには何をすれば良いのか

「経験した知識」はその通りで、経験するしかない。スポーツに打ち込む、勉強に熱中する、友達と喧嘩する、一人旅をする、ボランティア活動に参加する、ただひたすら歩いてみる。経験に際限はなく、できるだけ多様で強弱のある経験をすることが、想像することにつながると考える。

「経験してない知識」は、一般的に想像力を鍛えるために有効だと示唆されていることが該当すると思われる。本を読むこと、他人の話を聞くことである。特に、映画を観ることは、擬似的ではあるが、情景を音と共に認知することができる。これは、感情を精度高く疑似体験することができるため、非常に有効であると思われる。
感情面のみに触れたが、考え方やそこに至る思考も疑似的に触れることができる。

最後に、「事象をつなげる力」について。数学や物理を学ぶことは演繹の考え方そのものなので、物事をつなぎ合わせる力を後押しする。また、 歴史を学ぶことやSF小説を読むことは、今その場で観えない事象を理解しようとすることであり、その流れを紐解いていくことは、事象を繋げていることになると考える。

ここまでが今回の考察である。そして、今気づいたのだが、そもそも「想像しようとする」という態度や姿勢の大前提については今日は考えない。

おまけ

異能とは、「その場にない知識を持っている」、「その場にない感情を知っている」、「時空の捉え方が常軌を逸している」、「物理法則通りに物事をつなげない」もしくは「現在のやり方に沿って物事をつなげない」ことなのでは、と考えている。これは、また別の機会に。



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