2006年京大日本史4-1答案例

答案例①
政治面では、嵯峨天皇が蔵人頭や検非違使などの令外官を設置して天皇権力の強化をはかるとともに、宮廷の儀式において年中行事が成立し、弘仁格式の編纂により格式が体系化されるなど、律令制が成熟した。文化面では空海が唐から伝えた密教が流行し、貴族は密教の加持祈祷に鎮護国家や現世利益を期待した。また、嵯峨天皇が勅漢詩文集の編纂を命じ、橘逸勢に代表される唐風の能書家が登場したように、唐風文化の全盛期であった。(200字)

答案例②
政治面では、嵯峨天皇が蔵人頭など令外官を設置して天皇権力の強化を図り、嵯峨天皇の信任を得た藤原北家が橘逸勢らを排斥して台頭し、後の摂関政治の基礎を作った。また、弘仁格式編纂により格式が体系化されるなど、律令制が成熟期を迎えた。文化面では、空海が唐から伝えた密教が鎮護国家や現世利益を期待する貴族の間で流行した。また、文章経国思想の影響で嵯峨天皇が勅漢詩文集の編纂を命じるなど唐風化の全盛期であった。(200字)

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