2017年阪大日本史第2問答案例

後白河院と平清盛の対立が深まり、清盛が後白河院を幽閉し、政治の実権を握ったのに対し、院の子である以仁王は平家追討の令旨を発し、挙兵した。以仁王の挙兵に南都の寺社勢力が協力する中で、平氏方によって南都は焼き討ちにされ、東大寺は焼失した。その後、東大寺は重源が再建のために必要な寄付集めの責任者となり、宋の技術者陳和の協力を得て、再建された。その際、取り入れた大仏様の技法は大陸から伝わった新たな建築様式で、豪放的な作風を特徴とした。(216字)

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