2019年阪大日本史第3問答案例

末期養子の禁は跡継ぎのいない大名が死に臨んで、養子を願い出ることを禁止したものである。江戸幕府の武断政治により、嗣子断絶を理由とした大名家の改易により、牢人が多く発生していた。幕藩体制が安定期に入り、社会秩序が安定しつつあり、平和な時代が到来する中で、社会に対する不満を募らせていた牢人の存在は社会問題となっていた。このため、将軍徳川家光が病死した直後に発生した慶安事件を契機に、幕府は末期養子の禁を緩和して牢人の増加を防ぎ、大名家の存続をはかった。(225字)

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