東京外語大日本史2019年論述答案例

大問1問9
答案例
 1950年代、朝鮮戦争で交戦したアメリカと中華人民共和国は休戦後も対立が続いた。サンフランシスコ平和条約によって独立を果たした日本の吉田茂内閣は台湾国交を樹立する一方、中国とは国交が断絶した状態となった。1960年代に中ソ対立が表面化すると、ベトナム戦争で苦戦・疲弊していたアメリカは中ソ対立を背景に、米中関係を改善することで、中国を通じて北ベトナムとの和平を狙うとともに、ソ連との対抗に中国を利用しようとし、中国も米中関係改善により、ソ連に対抗しようとした。1970年代、ニクソン米大統領による中国訪問が実現し、その後、米中の国交正常化が実現して米中関係は改善した。日本の田中角栄内閣はニクソン訪中発表を背景に、1972年に日中共同声明を発表して、国交正常化を実現し、その後、福田赳夫内閣が日中平和友好条約を結び、日中関係は改善した。一方、日中共同声明発表時に台湾との国交は断絶したものの、民間レベルでの関係は継続した。(400字)

太字は指定語句。
 推移型なので、時期区分が重要。1950年代・60年代・70年代の3つに時期区分をすることが重要。日中関係だけではなく、米中関係について、どこまで記述ができるかが焦点となる。


大問2問7
答案例
 プチャーチンは開国と国境の画定を目的として、長崎に来航した。クリミア戦争の影響で一度帰国した後、下田に再来航し、交渉を行った。その後、安政の大地震発生による交渉の中断を経て、日露和親条約締結に至った。(100字)

太字は指定語句。
難易度が高く、高得点は難しい。設問要求①で確実に点数を取りたい。設問要求②については、最低限、「一度帰国→再来航→条約締結」を書きたい。

解説
設問要求①…ロシア船が日本に来航した目的を説明する。
設問要求②…条約経緯に至る経過を説明する。
条件①…当時の世界情勢を踏まえる
条件②…問2の解答(プチャーチン)・長崎・安政の大地震の3つの語句をすべて使用し、下線を引く。
条件③…100字以内で書く。

①…設問要求が2つある。それぞれの要求に答えた文章を作り、100字にまとめればよい。
設問の問いの型は設問要求①が「内容」説明、設問要求②が経過説明である。

②…設問要求①については、教科書の記述をそのまま参照すればよい。ここで指定語句のプチャーチンと長崎を使えばよいことも分かる。
⇒「プチャーチンは開国と国境の画定を目的として、長崎に来航した。」

③…設問要求②が難しい。1つは安政の大地震という指定語句である。もう1つが「当時の世界情勢を踏まえる」という条件である。この2つは主要な教科書に記述はないため、受験生は困惑したと思われる。

ⅰ.過程
 山川『詳説日本史』には、日露和親条約はプチャーチンが再来航した上で、下田で条約締結に至った旨が記述されている 。つまり、「長崎に来航後→一度帰国→下田に再来航し、日露和親条約を締結」という文章を作りたい。

ⅱ.世界情勢
 プチャーチンは長崎に来航し、幕府に国書を渡した後、クリミア戦争 が勃発した情報を聞き、イギリス船との遭遇を恐れ、日本を離れた。よって、ここではプチャーチンが一度帰国した理由として、クリミア戦争に関する記述を加えればよい。
 世界史Aが各学校で必修であることから、出題したと想定されるが、クリミア戦争の日本に与えた影響まで学んでいる受験生は少ないと思われる。日本史の資料集などには記述があるものの、知識としては早慶レベルであり、外大志望者には難易度が高いと思われる。

ⅲ.安政の大地震
 1854年10月に下田に再来航したプチャーチンは下田で交渉を続けた。その最中の54年11月に安政の大地震(安政東海地震)が発生。プチャーチンの乗る旗艦ディアナ号は津波により、大破し、修理のため、移動の最中に沈没した 。この後、日露和親条約が締結されているため、安政の大地震は日露和親条約締結の前に配置すればよい。

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