2005年一橋大日本史第1問答案例

1中央集権国家である律令国家は中央貴族を国司として派遣し、中央政府の指示・監督の下、地方支配に当たらせた。そのため、官道には駅制が整えられ、中央・地方間の移動、命令伝達・報告の経路として、官人が利用した。2十六夜日記。阿仏尼。所領問題をめぐる訴訟のため、京都から鎌倉に赴いた。3五街道は幕府の直轄下、道中奉行によって管理された。街道には宿駅や一里塚・関所などが整えられた。宿駅には公用の人足や馬が宿駅や周辺の村々の負担で用意された。4大名は都市での生活や参勤交代に必要な経費を物価の高い江戸や大坂で換金して賄う必要があり、幕府は旗本・御家人に俸禄米として支給する年貢米を江戸に運ぶ目的で、蔵物を幕領・藩から大量に輸送したため、大量物資の安価な輸送に適していた舟運が発展した。一方、大井川などの大河川には軍事上の理由から橋をかけることや渡し船が禁止されており、陸上交通は物資の大量輸送に不向きであった。(400字)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?