東京外語大日本史2018年論述答案例

大問1問9
 1549年にイエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが来日してキリスト教を伝えた後、宣教師が相次いで来日し、主に西日本で教会堂やセミナリオ、コレジオを建設して布教活動を本格化した。南蛮貿易は布教と一体化しており、ポルトガル船は布教を認めた大名領に入港したため、貿易利益を望む戦国大名は宣教師の活動を保護し、洗礼を受け、キリシタン大名となる者もいた。一向一揆など仏教勢力と敵対する織田信長は仏教に対抗し、貿易利益を確保する目的から、宣教師の活動に好意的で支援を行った。豊臣秀吉は当初、宣教師の活動に好意的であったが、キリシタン大名の大村純忠が領土の長崎を教会領としてイエズス会に寄進していた事実を知ると、1587年に九州平定後の博多で大名のキリスト教信仰を許可制とした上で、バテレン追放令を発令して、宣教師の国外追放を命じた。しかし、秀吉は南蛮貿易を従来通り奨励したので、宣教師の布教活動の統制は不徹底に終わった。(400字)

太字は指定語句。
 推移型なので、時期区分が重要。戦国時代・織田信長・豊臣秀吉の3つに時期区分をすることが重要。指定語句を手掛かりにしながら、答案の構成を考えればよい。

大問2問8
答案例①
 明治新政府は朝鮮に宛てた国書の中で、天皇中心であることを示すために、江戸時代までの例に反して、の文言を使用した。これに対し、朝鮮は清の朝貢国であり、勅の文言を使用できるのは清の皇帝だけと考えていた。(100字)

答案例②
 天皇中心の明治新政府は朝鮮に宛てた国書の中で、の文言を使用した。これに対し、朝鮮は清の朝貢国であり、勅の文言を使用できるのは清の皇帝だけと考え、江戸時代の例に反した日本の国書を無礼と認識していた。(99字)

太字は指定語句。高等学校日本史レベルでは難易度が高く、外語大志望者で答案を作成できた受験生はごく少数と思われる。

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