2021年東京外大日本史400字論述答案例

答案例①
綿花から綿糸を生産する紡績業では、1880年代前半に開業した大阪紡績会社がイギリス製紡績機械と蒸気機関を用いて、大規模工場の経営に成功したことを契機に、1880年代後半以降、大阪紡績工場に倣い、紡績工場が相次いで設立された。紡績業は1880年代後半に生じた企業勃興の中心で、日本における産業革命による工業化進展の端緒ともなった。1890年代以降、女工たちの低賃金・長時間労働、ボンベイ航路の開設や政府による輸入綿花の関税免除、金本位制への移行により、インド産の綿花を安定した価格で確保可能となったことで、日本産綿糸は国際競争力を強化し、日清戦争の勝利で新たに開港地を確保した中国への輸出を伸ばしていった。1910年代後半、第一次世界大戦勃発に伴い、列強が後退した中国などアジア市場への綿糸の輸出が急増した。この大戦景気の中で、中国で紡績工場を経営する在華紡も急激に増加し、日本の紡績業は資本輸出という形で中国への進出をはかった。(399字)

答案例②
綿花から綿糸を生産する紡績業は幕末に衰退した。1870年代に綿織物業の回復によって、原料である綿糸の需要が高まったことを受けて勃興し、1880年代前半に開業した大阪紡績会社がイギリス製紡績機械と蒸気機関を用いて、大規模工場の経営に成功したことを契機に、1880年代後半以降、大阪紡績工場に倣い、紡績工場が相次いで設立された。こうして発展した紡績業は1880年代後半に生じた企業勃興の中心で、日本における産業革命による工業化進展の端緒ともなった。1890年代以降、女工たちの低賃金・長時間労働、政府によるボンベイ航路の開設や輸入綿花の関税免除により、日本産の綿糸は国際競争力を強化し、中国への輸出を伸ばしていった。1910年代後半、第一次世界大戦勃発に伴い、列強が後退した中国などアジア市場への綿糸の輸出が急増した。この大戦景気の中、中国で紡績工場を経営する在華紡も増加し、日本の紡績業は資本輸出という形で中国への進出をはかった。(400字)


大学発表の答案例
近代の日本では、繊維産業などの軽工業を中心に産業革命が進んだ。在来の小規模な家内制生産に代わって、紡績機械で綿糸を大量生産する大規模な紡績業が盛んになり、多くの女工が低賃金の劣悪な労働条件で働いた。綿糸・綿織物をつくる繊維産業は重要な輸出産業へと成長したが、原料となる綿花はインド、アメリカ、中国からの輸入に依存していた。第一次世界大戦期には、アジア市場でヨーロッパからの綿糸の輸出が減少し、日本からの輸出が急速に増大して、紡績業は大戦景気で繁栄した。そのなかで、多くの紡績会社が上海、青島など中国各地に進出し、中国産の綿花を調達しながら、低賃金で中国人を雇用する紡績工場を経営し、在華紡と呼ばれた。在華紡の工場の多くは、上海など日本が権益を持つ地域に置かれ、五・三〇事件では、紡績工場のストライキやデモへの発砲をきっかけとして、日貨排斥を呼びかける反帝国主義の民衆運動が全国に拡大していった。(397 字)

太字は指定語句

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