2014年阪大日本史第1問答案例

古墳はヤマト政権に参加した各地の首長が築造した墳墓である。前期は銅鏡などの宗教的な色彩の強い副葬品が多いことから、被葬者は司祭者的な性格を持っていたことが推測できる。中期に入ると、銅鏡などの宝器が減少し、鉄製の武具・馬具などが増えることから、被葬者は軍事的指導者としての性格が強まったと推測できる。後期に入ると、群集墳など小古墳の築造が増加しており、従来の首長に加え、有力農民層も被葬者となっていたことが推測できる。(208字)

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