2010年一橋大日本史第1問答案例

117世紀を通じて城下町が形成され、兵農分離策によって、武士は城下町への集住を強制され、城下町発展のための施策などもあって、商工業者も集まった。こうした中で、拡大した城下町の需要を支える商品作物の栽培が農村で行われていた。2楮・漆・茶・桑。3商品・貨幣経済の進展により、都市での消費生活に拍車がかかったことで、米価が他の物価に比べて低い米価安の諸色高の傾向が続いた。幕藩領主は年貢米を主要な収入としていたため、年貢米を換金した際の現金収入が米価安の影響で減少したうえ、消費の増加や諸色高のために支出が増加し、財政難に陥った。4ア田沼意次。イ水野忠邦。田沼は発展する商品生産や流通を掌握し、幕府の財源に組み込む目的で、株仲間を積極的に公認する代わりに、運上・冥加金を徴収した。水野は株仲間による流通の独占が物価高騰の要因であると判断して、株仲間を解散することによって、物価の引き下げを狙ったが、失敗した。(400字)

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