2008年京大日本史4-2答案例

答案例①
1870年代、日清修好条規締結により、日清間に対等な国交が成立した後、冊封体制の否定を日本が企図したため、朝鮮や琉球の宗主権を主張する清と対立した。台湾出兵の影響で琉球が日本領になると、1880年代以降、日清関係の争点は朝鮮になった。日本は天津条約を締結して清との対立を避けたため、清が宗主権を保持したが、1890年代に入ると、ロシアの極東進出が進む中で日本の対朝鮮政策が積極化し、甲午農民戦争を機に日清開戦に至った。(200字)

答案例②
1870年代、日清修好条規締結により、日清間に対等な国交が成立した後、清中心の冊封体制を日本が否定しようとしたため、朝鮮や琉球の宗主権を主張する清と対立した。琉球が日本領に編入された後、1880年代以降、日清関係の争点は朝鮮になった。内政を優先する日本は天津条約を締結して清との軍事衝突を回避したが、1890年代に入ると、ロシアの極東進出が危惧される中で日本の対朝鮮政策が積極化し、甲午農民戦争を機に日清開戦に至った。(200字)

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