2002年一橋大日本史第1問答案例

1律令政府は造都に必要な経費を確保するなど、歳入不足を補う目的で貨幣を鋳造した。政府は全国的な流通を企図したが、実際には稲や布などが交換手段として使用され、流通は畿内とその周辺にとどまった。2日宋貿易は国交のない両国間の民間交易で、民間商船が自由に往来したのに対し、日明貿易は明の海禁政策の影響で私貿易は禁止され、室町将軍が日本国王として明に朝貢する形式での貿易に限定されたうえ、遣明船は勘合の所持を義務付けられるなどの制約があった。3従来の米や布に代わる売買・納税の手段として利用され、蓄財もされた。4徳川幕府は貨幣鋳造権を独占し、全国に通用する統一貨幣として金貨、銀貨、銭貨として寛永通宝の三貨を鋳造し、供給した。一方で三貨のうち、金貨は計数貨幣、銀貨は量貨幣と異なり、三貨の単位も不統一なうえ、金貨は東日本、銀貨は東日本でしか通用しないなど、近代と比べ、統一的な貨幣制度としては不十分だった。(400字)

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