2020年東京外大日本史400字論述答案例

日本は米英がアジアや世界の支配を目的として戦争を起こしたとみなし、日本及びアジアの自存自衛のための戦争であり、かつ、アジアを米英の植民地支配・白色人種優位の状況から解放するための戦争であるという見方を示した。戦局の悪化を受け、大東亜会議を開催して、各民族国家の独立と平等な国家同士の協力により、大東亜共栄圏を確立することを旨とする大東亜宣言を発表して、占領地域の戦争協力を確保しようとした。一方、アメリカは日系人を戦争に協力させることで、日本の作り出した人種戦争という見方を否定し、ファシズムを打倒してアジアの平和を勝ち取り、人種に関係なく、よりよい世界を構築するための戦争であるという見方により、戦争を正当化しようとした。また、カイロ宣言では朝鮮の独立、満州・台湾・澎湖諸島の中国返還、南洋諸島のはく奪など、日本の植民地・権益に関する処分の方針を決め、日本の抑圧化にあった諸民族の解放を決定した。(399字)

大学発表の答案例
日本は、石油の禁輸など経済封鎖に対する危機感のなかで、自存自衛の戦争として対英米戦争を開始した。さらに、欧米列強の植民地支配からアジアを解放し、大東亜共栄圏を築くための義戦として正当化した。そして、日本軍の占領下でビルマやフィリピンを独立させ、大東亜会議を開催することで、戦争理念を対外的に示そうとしたのである。他方でアメリカは、ファシズムや軍国主義の侵略に対抗し、自由と民主主義を守る戦争として第2 次世界大戦、その一環としての太平洋戦争をとらえていた。しかし、イギリスやオランダはアジアの植民地の解放には消極的であり、アメリカは日系人の強制収容を行なっていて、アジア解放の人種戦争とする日本のプロパガンダに根拠を与えてしまう懸念が生じていた。そのため米軍のなかに日系人部隊を創設して参戦させ、カイロ宣言では日本の植民地統治下の朝鮮の独立や満州・台湾の中国返還を掲げ、日本の戦争理念に対抗していった。(400 字)

太字は指定語句

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