2013年京大日本史4-1答案例

江戸幕府の財源は幕領からの年貢収入であった。しかし、享保期以降、百姓一揆が多発する中、年貢増徴は限界を迎えた。これを受け、田沼時代には株仲間を承認し、運上・冥加を徴収するなど、商業資本を利用した財源確保が目指された。一方、百姓の階層分化や飢饉を背景に村から都市への人口流出が進み、農村が荒廃したことを受け、寛政の改革では、旧里帰農令や社倉・義倉の実施により、人口を回復させる農村再建策が実施された。
(199字)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?