2004年一橋大日本史第1問答案例

1干鰯。畿内や瀬戸内で生産された木綿などの商品作物栽培において、金肥として使用された。2都市の流入した農村出身者の帰村を奨励し、農村人口の回復を目指す旧里帰農令を発令し、備荒貯蓄策として、各地に義倉・社倉を立てた。大原幽学。3復古神道。商品経済の発展による総体的な百姓の富裕化や貨幣経済の浸透による必要性から寺子屋が普及し、識字率が向上した。また、流通の発展を通じ、都市と農村の経済的な結びつきが強まる中、俳諧などの文化的交流も盛んになった。一方、貨幣経済の浸透を背景に、百姓の階層分化が進展して村の秩序は動揺し、また、列強が接近するなど内憂外患の深まりにより、社会が混迷の度合いを深める中、共同体秩序を維持する思想として国家神道は受容された。418世紀末、諸大名に江戸湾の防備強化を命じ、19世紀初頭には白河・会津両藩に江戸湾防備を命じた。19世紀中頃のペリー来航を契機に、江戸湾に台場の建設を進めた。(399字)

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