2017年阪大日本史第4問答案例

日露戦争の講和条件に賠償金が含まれていないことへの不満から日比谷焼打ち事件が発生した。1910年代に入り、二個師団増設問題を契機に第3次桂太郎内閣が成立すると、第1次護憲運動が発生し、大規模な民衆運動に発展した。その後、第1次山本権兵衛内閣の時、海軍の汚職事件であるジーメンス事件が起こると、再び、都市で民衆運動が勃発した。こうした民衆による政府批判の運動は内閣総辞職に発展し、政局の動揺につながるとともに、吉野作造が民本主義を発表するなど、民衆の政治参加を促すことにもなった。(236字)

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