新潟大日本史2014年答案例
大問1…400字論述
答案例
6世紀の欽明天皇の時期、『上宮聖徳法王帝説』では538年、『日本書紀』では552年に、仏教は朝鮮半島の百済から日本に正式に伝わった。日本の豪族は仏を氏の繁栄をもたらす異国の神として崇拝し、古墳に代わる権威の象徴として、氏寺を建立した。物部氏が滅亡し、蘇我氏の影響力が強い推古朝が成立した6世紀末以降、蘇我馬子が建立した飛鳥寺に代表されるように、飛鳥地方を中心とする畿内の地に相次いで大寺院が建立され、最初の仏教文化である飛鳥文化が花開いた。飛鳥文化は百済の他、高句麗や中国南北朝時代の影響を受けた。7世紀後半になると、新羅経由でもたらされた初唐文化の影響を受けた白鳳文化が花開いた。この時期、仏教は鎮護国家の力があるとされて朝廷の保護を受け、大官大寺に代表される官寺が中央に建立され、法会などが行われた。伽藍配置は当初、仏舎利を安置する塔が中心であったが、徐々に護国のための法会が行われる金堂が中心となった。(400字)
太字は指定語句。
大問2
問1ア:渤海 イ:高麗 ウ:大輪田泊 エ:北条時宗(政村も○となる) オ:異国警固番役
問2:宋銭・陶磁器 問3:蒙古襲来絵詞 問4:南宋の滅亡
問5:北条氏 九州の政務や裁判、御家人の指揮。 問6:建長寺船
大問3
問1 ア:(足利)直義 イ:応永の乱 ウ:(豊臣)秀頼 エ:徳川秀忠 オ:由井正雪
問2:細川・畠山
問3:鎌倉時代は大犯三カ条など軍事統率や治安維持が役割だったが、室町時代は半済など一国の行政権も掌握した。(50字)
問4:徳川家光
問5:
答案例①
当時、大名家改易の理由の多くが末期養子が認められないことによる嗣子断絶だった。(39字)
答案例②
末期養子を認めることで、嗣子断絶による大名の改易が減り、牢人の増加を防止できる。(40字)
問6:文治政治
大問4
問1 学問のすゝめ・福沢諭吉 問2:苗字を名乗ること、華・士族との結婚、移住・職業選択の自由から2つ
問3:徳富蘇峰・『国民之友』
問4:極端な欧化主義を採用し、外国人接待のために鹿鳴館を建設した。(30字)
問5:「君死にたまふこと勿れ」・与謝野晶子
問6:国民の多くは日露開戦論を唱えたが、平民新聞の幸徳秋水らは社会主義の立場から非戦論・反戦論を唱えた。(49字)
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