2015年一橋大日本史第1問答案例

1明暦の大火。都市部には武士と商工業者が身分ごとに集住した。経済発展・大開発時代の終了に伴い、多くの人々が流入し、町人地の人口が増加した。町人地は武家地に比べて狭く、路地を挟んで木造家屋が立ち並ぶ人口密集地帯となっていた。2江戸では町入用の節約分の7割を積み立てる七分積金を命じ、町会所を設けて、飢饉や病気の際に困窮者に米や金を貸し付けて救済した。また、飢饉時の治安対策として石川島に人足寄場を設置して、無宿人を収容した。農村では郷蔵などの備荒貯蓄を命じ、商品作物の栽培を禁止して穀物増産を図るとともに、農村の人口回復のため、旧里帰農令を発令して、都市に流入した農村出身者の帰村を奨励するとともに、村からの出稼ぎを禁止した。3従来の惣百姓一揆は仁政概念に基づき、幕藩領主に対して、年貢減免を訴えるなど幕藩体制の枠内での生活の成立を求めるものであったが、世直し一揆は社会変革などを求めるものであった。(399字)

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