2014年一橋大日本史第2問答案例

答案例①
1川上音二郎。2明治初期に四民平等によって、武士身分の解体が進んだこと、そして、文明開化の風潮の中で、和装から洋装へ変化したことをさしている。3江戸幕府が1858年に締結した安政の五カ国条約は片務的な領事裁判権の承認や関税自主権が日本のみ欠如されるなど、不平等な内容の条約であった。これを問題視した明治政府は条約改正交渉を進めた。1880年代に井上馨外務卿・外相が領事裁判権の撤廃を目的とする条約改正交渉を進めた。その過程で交渉を促進するため、外国人を接待する社交場として鹿鳴館を建設するなどした極端な欧化政策を批判した。41870年代後半以降、自由民権運動が特に高揚する中で、政府は集会条例を制定するなどして、運動を抑制した。これへの反発から1880年代後半に時事的な劇として壮士芝居は登場し、民権思想の普及に役割を果たした。壮士芝居は日清戦争前後から人気がある通俗小説の劇化をもたらし、新派劇が登場するきっかけを作った。(400字)

答案例②
1川上音二郎。2明治初期に四民平等によって、武士身分の解体が進んだこと、そして、文明開化の風潮の中で、和装から洋装へ変化したことをさしている。31880年代に井上馨外務卿・外相が領事裁判権の撤廃と関税率の一部引き上げを目的とし、内地雑居や外国人を被告とする裁判における過半数の外国人判事の任用、編纂した法典の外国に対する事前通告などを条件として、条約改正交渉を進めた。井上は欧米の代表を集め、一括で交渉を行うとともに、交渉を促進するため、外国人を接待する社交場として鹿鳴館を建設するなどした極端な欧化政策を批判した。41870年代後半以降、自由民権運動が特に高揚する中で、政府は集会条例を制定するなどして、運動を抑制した。これへの反発から1880年代後半に時事的な劇として壮士芝居は登場し、民権思想の普及に役割を果たした。壮士芝居は日清戦争前後から人気がある通俗小説の劇化をもたらし、新派劇が登場するきっかけを作った。(400字)

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