2016年阪大日本史第1問答案例

6世紀に百済の聖明王が高句麗・新羅との対抗上、倭国との関係を緊密にするために、欽明天皇の時に仏像・経論などを伝えたが、それ以前から一部の渡来人の間で信仰されていた。その後、ヤマト政権では仏教受容に積極的な蘇我氏と消極的な物部氏などとの間の政治的対立が生じた。その結果、蘇我氏の権力が確立し、親蘇我政権である推古朝が仏教興隆を掲げたことを受け、蘇我馬子の飛鳥寺を皮切りに、ヤマト政権の中央豪族が権力の象徴として氏寺を建立した。(212字)

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