2009年阪大日本史第2問答案例

北条泰時は執権を補佐する連署と有力御家人などからなる評定衆を設置し、執権・連署と評定衆による合議制を採用するとともに、独自の武家法として御成敗式目を制定し、裁判の基準を定めた。この政策を継承した北条時頼は引付を設置して迅速・公正な裁判の確立に努め、この時期に執権が幕政を主導する執権政治は確立し、将軍は名目の存在にすぎなくなった。朝幕関係では、泰時は後嵯峨天皇の擁立を支持し、時頼は後嵯峨上皇に院評定衆設置を働きかけ、幕府の権威付けを狙って宗尊親王を将軍に迎えるなど、幕府優位の協調関係が続いた。(248字)

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