2018年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問8
答案例①
 838年の派遣以降、10世紀初頭に唐が滅ぶまでの間、遣唐使は一度も派遣されなかった。唐・新羅の貿易船が日本に来航していたことや894年の派遣決定に際した反対した菅原道真が建議したように、唐の衰退が背景にある。(100字)

答案例②
 9世紀は唐・新羅の貿易船が日本に来航していたことや唐の衰退を背景に、遣唐使は派遣されなかった。9世紀末に宇多朝が派遣を決定するも、菅原道真の建議もあり、10世紀初頭に唐が滅ぶまで、派遣はされなかった。(99字)

解法
①…838年の承和の遣唐使が派遣された後の遣唐使の動向、つまり、経過説明が求められており、「推移・変化」の問いの型であることが読み取れる。

②…経過説明であるから、時間軸の意識が大切となる。まず、終わりは907年に唐が滅亡したことである。これにより、遣唐使が最終的に派遣されなくなることが確定した 。ここが終わりである。

③…838年の派遣後の遣唐使の動向である。一言で言えば、「唐の滅亡まで遣唐使は派遣されなかった」という結論になる。もちろん、894年時の出来事(宇多天皇が派遣決定→遣唐大使に菅原道真が決定→道真が派遣中止を建議→派遣が中止)は何らかの形で答案に反映する必要はあるが、まずはこのことを明記したい。

④…③の背景は山川『詳説日本史』P71本文の記述を参照して、新羅・中国からの貿易船の来航と唐の衰退の2つについて、言及したい。前者については、8世紀以降の遣唐使が政治的な要因よりも、文物の入手という経済的・文化的目的に変化していたことがある。文物の入手が他の方法(新羅・中国からの貿易船)で可能な以上、危険を侵して遣唐使を派遣する必要はない。後者については、894年に菅原道真が建議した内容として知られる。よって、894年の記述をする際に使用する形がベストである。

⑤.894年に関しては、菅原道真が反対して、決定した遣唐使の派遣が実現しなかった点に言及したい。なお、894年に遣唐使が廃止された事実はないため、そうした誤りを記述しないように気を付けたい。


大問Ⅴ問7
答案例
 江戸時代は地域や取引規模で通用する貨幣が異なる上、共通の単位が存在せず、素材・形状も異なった。明治政府は当初、不換紙幣を発行したが、新貨条例により、これらの状況を改め、統一的な貨幣制度の整備を進めた。(100字)

解法
①…問いの型は「変化」である。江戸時代の貨幣制度から近代貨幣制度への変化を説明することが求められている。また、説明時に史料の内容を反映することが求められている。

②…論述問題における定番の出題と言える(※)。解答の方向性は「貨幣制度は不統一」から「統一的な貨幣制度の整備」である。史料イが新貨条例、史料ロも時間軸を見るに明治初期であるから、記述としては、「統一的な貨幣制度の整備を進めた」としたい。近代の統一的な貨幣制度が整うのは、1880年代だからである(★)。

※…鈴木和裕・高橋哲・塚原哲也『日本史の論点』(駿台文庫)トピック31・論点2を参照。慶応大学では2009年に経済学部で出題がある。江戸時代の貨幣制度に広げれば、文学部で2011年に南鐐二朱銀の発行に関する意義を問う出題がされている。

★…『日本史の論点』トピック31・論点2を参照。

③…次は史料に沿って、記述内容を精査する必要がある。本問題は史料を踏まえる問題であり、知識を記述する問題ではない。
ⅰ.江戸時代の貨幣制度
 史料イの下線部cの後に「斯ク其品類区々ニシテ方円大小其価ヲ異ニシ混合雑駁、其質ヲ同フセス」とある部分が利用できる。貨幣の素材・形状が異なる上、下線部のように、種々の貨幣が混在した点を記述すればよい。
 次に、史料イ6~7行目の「方今貿易ノ道…」の文章である。「流通ノ道ヲ開キ…」の文章からは、貨幣制度における旧弊(江戸時代の悪い状況)を改めることが、流通ひいては富国強兵に繋がると書かれている。流通を踏まえると、江戸時代に地域によって、通用する貨幣が異なる点について、言及が必要であることが分かる。また、史料イ3行目に銅銭に関する記述もあるので、取引の規模で使用される貨幣が異なる点(東日本:高額は金貨、低額は銭貨、西日本:高額は銀貨、低額は銭貨)も記述したい。

ⅱ.近代の貨幣制度
 どこまで書くかは史料ニに沿って、1870年代前半と判断すればよい。史料ニに太政官札など不換紙幣に言及があるので、戊辰戦争時に不換紙幣を発行するなどしていたが、その後、新貨条例で統一的な貨幣制度の導入を進めたと記述し、江戸時代の貨幣制度を改めようとしたことを説明すればよい。


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