2003年京大日本史4-1答案例

答案例①
7世紀後半、律令国家建設の過程で、日本は一般行政法や民衆統治を規定した令の導入が優先され、近江令・飛鳥浄御原令が編纂された。8世紀初頭、大宝律令で刑罰法の律も整備され、その後、養老律令も制定され、律令国家は成立した。9世紀から10世紀初頭にかけて、律令国家は律令を修正する格と施行規則の式を体系化する目的で弘仁・貞観・延喜格式を編纂したが、延喜格式の編纂以降、法典編纂は行われず、律令国家は終焉した。
(199字)

答案例②
7世紀後半、律令国家建設の過程で、日本は一般行政法や民衆統治を規定した令の導入が優先され、近江令・飛鳥浄御原令が編纂された。8世紀初頭、大宝律令で刑罰法の律も整備され、その後、養老律令も制定されて、律令国家は完成した。9世紀以降、律令国家は律令を修正する格と施行規則の式を体系化し、官僚の実務に資する目的で三代格式を編纂したが、10世紀初頭の延喜格式編纂以降、法典の編纂は行われず、律令国家は終焉した。
(200字)

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