2011年慶応文学部日本史論述答案例

大問Ⅳ問6
 江戸時代、貨幣の使用は東日本では金遣い、西日本では銀遣いが一般的で、両者の交換比率は相場により常に変動していた。江戸幕府は長崎貿易で銀を輸入し、それを材料に計数貨幣の明和五匁銀・南鐐二朱銀を鋳造し、交換比率を固定することによって、金貨を基準とする貨幣制度・市場の統一をはかった。(139字)

太字は指定語句

* 問題の性質上、史料イ・ロを踏まえていることを示す必要がある。そのため、史料イを踏まえていることを明示するために明和五匁銀を解答例に記述したが、多くの受験生にとっては、かなり細かい知識である。それ以外については山川『詳説日本史』の記述レベルの知識で解答を構成することが可能である。

大問Ⅴ問9
 貨幣鋳造や国史編纂が行われず、都城の資材が法成寺造営に利用されるなど、律令に基づく古代国家は崩壊に向かった。一方、一部の武士は摂関家などの上級貴族と結びつき、都に進出するなど中世社会の萌芽が見られた。(100字)

解法
①…条件に史料を踏まえてとあるから、史料の読み取りが必要となる。その意味で、同問題の前にある問1~8はヒントになる。特に問1~3、6は同問題に直接関係する設問である。
史料イ…改元や改鋳が遅れている(行われていない)ことを人々が嘆いている。
史料ロ…随分と行われていなかった国史の編纂が計画されている。
史料ハ…源頼親の郎等である武士が仇討ちで清原致信を殺害している。
史料ニ…出家後の道長が居所とした法成寺の造営に公卿や貴族らが駆り出されており、人々は
平安京内の各建物の礎石などを造営に利用している。

②…Ⅴの設問文冒頭に「摂関政治最盛期」とあるから、平安時代中期が平安時代前期・平安時代後期と比べ、どのような時代であるかを説明すればよい。
⇒ まず、意識したいのは、平安時代中期までが古代、平安時代後期以降が中世という大きな時代の枠組みの中で、摂関政治期を説明することである。
⇒ 「前の時期との関連=律令制が崩壊に向かう時期(a)」、「後の時期との関連=中世社会の兆しが見られる時期(b)」という2つの方針をいずれも、史料と指定語句に沿って、記述することが求められる。
⇒ ちなみに本問題は「摂関政治期がどのような性格の時代であったか」であり、「摂関政治期がどのような時代であったか」を説明する問題ではない。よって、「藤原氏が摂政・関白となって」というような回答では設問要求を無視していることになる。

③…史料イ・ロ・二はいずれも方針aに該当するものである。
 史料ニについては権門体制の兆しを示唆する内容であるとも言える(→山川『詳説日本史』P70-71)が、指定語句に「都城」があることを考えると、都城の荒廃→方針aと考えるのが、スマートであろう。ちなみに都城の「崩壊」は適切でないから注意したい。
「貨幣の鋳造、国史編纂が行われず、都城の資材が法成寺造営に利用されるなど、律令に基づく古代国家は崩壊に向かった。」(55字)

④…史料ハは方針bに該当するものである。
⇒ ただし、「単に武士が登場した」と言うだけでは、不十分と思われる。問5を踏まえて、「摂関家などと私的な結びつきを見せる武士も現れた」とは書きたい。受験生がここまで史料を分析できるかはともかくとして、史料ハには頼親の郎等たちが平安京内に進出していることが書かれている(史料文1行目の「六角小路・福小路」)。よって、その背景となる摂関家などとの結びつきについては言及が必要となる。
⇒ そのことを「中世社会の兆し」と結びつければよい。
「摂関家などの上級貴族と結びつき、都に進出する武士も見られるなど、中世社会の萌芽が見られた。」(45字)

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