2012年一橋大日本史第2問答案例

1大阪紡績会社の成功を受け、1885年以降、大型紡績工場の設立が相次ぐ中、綿糸の生産は増加する一方、これらの紡績工場で使用された原料の棉花は中国・インド産が中心だったため、国内の棉花生産は減少に転じた。2第1次世界大戦勃発により大戦景気となる中、大戦の影響で好景気となったアメリカ向け生糸の輸出が伸び、生糸の生産量も増加した。綿糸・綿布はヨーロッパ諸国が後退した中国市場への輸出が伸び、綿糸の生産量も増大したが、大戦終結によりヨーロッパ諸国が復帰したことや日貨排斥運動の影響で輸出が減り、綿糸の生産量は落ち込んだ。3昭和恐慌下の産業合理化や金輸出再禁止以降、政府が低為替政策を採った影響で綿織物の輸出は伸び、綿糸の生産量も増加した。一方、日本の低為替政策はイギリスなどとの貿易摩擦に発展し、国際経済がブロック経済化する契機となった。4世界恐慌によりアメリカ向け生糸の輸出が減り、原料の繭の需要が落ち込んだ。(400字)

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