2018年京大日本史4-2答案例

答案例①
薩摩藩は朝幕関係を取り持つことで国政参加を実現するため、朝廷の意向を背景に幕政改革を申し入れて公武合体を促すとともに、英戦争で攘夷が困難と判断すると、急進的な尊攘派公家や長州藩を京都から追放し、雄藩大名層による合議を主導した。しかし、一橋慶喜の妨害で会議が失敗した後、薩摩藩は天皇を中心とする公議政体の樹立を目指すようになり、第2次長州出兵を決定した幕府に対して薩長同盟を締結し、長州藩を支援した。
(200字)

答案例②
薩摩藩は悪化した朝幕関係を取り持つことで国政参加を実現するため、朝廷の意向を背景に幕政改革を申し入れて公武合体を促すとともに、英戦争で攘夷が困難と判断すると、急進的な尊攘派公家や長州藩を京都から追放し、参予会議を主導した。しかし、一橋慶喜の妨害で会議が失敗に終わると、薩摩藩は天皇を中心とする公議政体の樹立を目指すようになり、第2次長州出兵を決定した幕府に対して薩長同盟を締結し、長州藩を支援した。
(200字)

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