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vol.11:私が “女が苦手” と思う理由がわかった

障害者家族コラムニストの川島田ユミヲです。

少し自分の弟の話からは外れて、しばらく人間の性別に関する記事を書いておりますが、表題通り、今日もそんな感じです。いつもお読み頂き、本当にありがとうございます。

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若い頃に女4人でバンドをやっていた事があった。ひょんな事から始めたドラムがただ楽しくて、どんなジャンルの音楽でもいいから「バンドやりたい」という憧れだけでお誘いに乗った。

うろ覚えだけれど、バンドが始まった頃ぐらいに

「私、女が苦手なんだよね」

ってバンドメンバーに言って、怒られたことがある。

「おめーも女だろうが!」

この言葉がずっと頭に残っている。確かにそう。私の性別は女。これから女だけのバンドでやったるぞー!って士気が高まっているところに、完全に水を注している。18歳のユミヲは空気が読めないにもほどがあった。未だに嫌な気持ちにさせて申し訳ないなぁ、と思う。

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これはつい最近になって気付いたことだけど「女が苦手」というよりは、

“ 男の悪口ばかり言う女 ” が、たまたま周りに多かっただけなのだ。

小さい頃、ずっと母親から父親の悪口ばかり聞かされてきた。真実は真逆だった事が大人になってから判明。ようは母親は、我々子どもたちを囲いたい気持ちだったのだと思う。結局、借金とか親族にお金を無心していたとか、不倫相手などの、ドロドロ昼ドラ系トピックスを母方の伯母に聞かされて(それもどうかと思うけど)、その “ 囲い ” は、あっけなく錆びて朽ちていった。

中学生の頃に頻発していた “ いじめ ” は、女が女に対してのものが殆どだった。空気が読めずにヘラヘラしていた私も、きっと何か癪に障る事をしてしまったのだろう。いじめというか無視されて、孤立する対象になった事もあった。(高校受験で工業高校を選んだ理由も「女が多い場所は嫌」だった。かと言って男子とすぐ仲良くできたかと言えば、だいぶ時間がかかった)

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性別の問題を差っ引いても、陰口や悪口を耳にするのはあまり気分がいいものではない。だからと言って、私だって誰かの悪口を言わないわけではない。そこは “好き” と “嫌い” という感情を持ち合わせた人間の生理的現象だから仕方がない。

悪口を言うな、とは言わない。悪口っぽく聞こえないような言い方をする方がスーパークールだ、という事を言いたい。

そんなん、物は言いようじゃねえか。と思う人はいるかもしれないけれど、正に “物は言いよう” なのだ。コトバンクで意味を調べてもこのような文言が出てくる。

物事は言いようによってどうにでも聞こえる。同じ事でも言いかたによって、よくも悪くも受け取られる。

要するに、言い方をちょっと変えて、悪く受け取られないようにすればいいのだ。大事なのはプレゼンテーション・スキルだ!誰も傷つかない!自らのイメージダウンも防げる!ウィンウィン!!

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時代は “多様性” を高らかに謳うようになり、性別は男と女だけじゃない、男だから女だから、という固定観念はやめよう、見た目で人を判断するのはやめよう、という問題提起が頻繁になされている。しかしどうだろう。「女性軽視・蔑視」の問題はニュースでよく取り上げられているが、女性が男性の事を「軽視・蔑視」している発言は、あまりニュースでは取り上げられない。

日常的にはどうだろう。女性の事を軽視・蔑視している男性は少なくなった(というか怖くて下手な事言えない、と怯えている人が増えた)けれど、未だに女性側が男性の事を「軽視・蔑視」している発言を聞く事はないだろうか。

「これだから男はいざと言うときにダメなのよねー」

「男ってそういうところあるよねー」

「ナヨナヨしている男はキモくてちょっと無理~~」

など、女性同士の会話の中で、未だにこれらの言葉は平気で飛び交っている。女性が男性に対する偏見や “ルッキズム” 問題は許されて良いものだろうか?私はそうは思わない。

もちろん歴史の中で「男尊女卑」という事があったのも知っている。今でもその精神が根付いている人がいるのも事実。腕力や権力の横暴があり、女性の人権が尊重されなかった時代を経て、今がある事も理解はしているつもりです。すべて過去や歴史がそうさせているのかどうなのかはわからないけれど、この多様性を謳う時代において、女だけ時代が止まってないだろうか?

因みに、男性側の肩を持っているわけではありません。肩身が狭そうだなあ、とは思うけど、私がそこまで性別を意識して人と接していないというか、以前からこのnoteでお伝えしている通り

「男でも女でもどちらでもなくても、障害があってもなくても、同じ人間」

という考えのもとです。

そういう意味では “男の悪口ばかり言う女” が周りにいたからこそ、今の私があるのかな、と考えたら、嫌な思いをしてきた事も糧にはなっているのかもしれない。

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そういえば、2ヶ月前に出たニュース。

ノンバイナリーってここで初めて知ったのですが、

「ノンバイナリー」とは、性自認を男性・女性といった二元論に当てはめないこと。また当てはめたくない人のことを指す。男性でも女性でも無い状態、または部分的に混ざった状態であったり、流動的であったりする。

え、これすごく個人的にしっくりくる…!なるほどそうか、私はノンバイナリーなのか。でも実生活で「私はノンバイナリーです」って言葉にする機会は、あまりないだろう。知れて良かったか?良かったかどうかは、正直良しも悪しもない。そういうスタンスだって事に、名前が存在することを知れた。それに尽きる。

だいいちこの「カミングアウト!」って言い方も、なんだか解せない。イメージの問題かもしれないけど。もちろん意味としては

カミングアウト(英: coming out)とは、これまで公にしていなかった自らの出生や病状、性的指向等を表明すること。 英語の動詞形でカムアウト(英: come out)またはカムとも言う。 逆に、他人の秘密を暴露することをアウティング(英: outing)という。

なにも間違ってはいない。「カミングアウト」という言葉がメディアで使われる時の、それを受け取った民衆の反応に問題があったんだと思う。

男女それぞれが持つ身体的特性はある。でも、内面的なものは決して二分の一ではない。二色ではない。皆違ったグラデーションを持っている。だから「カミングアウト!」って文末に余計な「!」がつかないような世界に、そして「これだから男は~!」とか「だから女は~!」といがみ合う世界がなくなる事を、願ってやまない。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。