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vol.7:あなたにとって「どっちが悪いか」ってそんなに重要な事ですか?

今週になってからずーーーっと、私の心の「劇団ひとり」さんが

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って言っている。

発端はコチラ。

つい先日、伊是名夏子さんの以下の記事に関して、めちゃ共感して目からウロコなくなるぐらいボロボロ落ちた、という記事を書いたばかりだった。

Twitterが大炎上しているのもサッと目を通した。引用RTしている人のリプ欄まで飛び火してるのも見た。引用RTしている人にずっと前からのフォロワーさんもいたので、心無い言葉が投げられているのが、とても悲しい気持ちになった。

なぜ?なぜ、こんなにもバリアフリー問題が “炎上” するのか。伊是名さんは「問題提起」をしているだけなのに。

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過去にも車椅子ユーザーの方の問題提起は話題になりましたが、大抵は

「事前に連絡しないお前が悪い!」

という意見が殆どだった。

「お前が悪い」なんて言われる筋合いが、どこにあろうか。もちろん言葉遣いだったり書き方は大事ですが、問題提起ですよ。

日本はまだまだ物理的なバリアフリー(エレベーターやスロープがない、など)も、対人的なバリアフリー(何かお困りですか?と声をかけたり手を差し伸べる、など)も進んでいない、という、問題提起。

「伊是名さんが悪い」とSNSで言う人は、車椅子ユーザーに何か恨みでもあるん?直接イヤな事でもされたんかな?

そもそも、なぜ皆さんは「どっちが悪いのか」を決めたがるのか。

なぜ「色々なタイミングが合わなかっただけ」だと思えないのだろうか。

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うちの弟は先天性の知的障害で、言葉が喋れずに “重度” という認定を受けている。喜怒哀楽は表情から読み取ったり、本人の行動で今どうしたかなど、彼の要望を判断するようにしている。言葉が喋れなくても、ちゃんと彼なりに「問題提起」をしてくれる。

伊是名さんのほかにも、こうしてSNSで様々な問題提起をしている車椅子ユーザーの方もたくさんいる。

障害の種類は様々だが、皆なりたくて障害者になったのではない。

いわゆる「健常者」の皆さまと同じ、人間です。ていうかこの「健常者」って言葉は本来あまり使いたくないんですが、説明言葉として用います。なんせコラムタイトルは「世の中全員、障害者。」だし、健常者ってだけで偉いの?障害者がどうして下に見られるの??生きていくうえでハードル(障害)ない人っているの??大なり小なりあるんじゃないの???

↑これに尽きる。

そんな「健常者」の皆さまと同じように、疑問に思った事を発信して、どうしてそんなに叩かれなきゃいけないの?駅や電車で車椅子ユーザーの方と一緒になって、何か嫌な思いをした?

電車内の優先席じゃない場所に車椅子が入ってきて、狭い思いをして嫌だった?

エレベーターに乗りたかったのに、車椅子の人を優先して乗れなかった?

それも「車椅子ユーザーが悪い」んじゃなくて「色んなタイミングが合わなかった」だけなんじゃないの?

世の中の人たちって、いっぱいいっぱいなんだねぇ。

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それ以外に、例えば車椅子ユーザーの方に街中でちょっと理不尽な事を言われたとか(今回のようなSNSで発信する類の話じゃなく、実生活でね、直接的に)、例えばわざと足を轢かれたとか、中にはちょっとよろしくない感じの

「自分、障害者なんで!」

みたいな傲慢さを振りかざす人がいたりとか、とにかく直接暴言を吐かれたり危害を加えられた、とかなら、話は別だと思う。別だと!思うけど!!問題提起をする人に向かって

「事前に連絡しなかったお前が悪い!」

「これだから車いすユーザーは嫌いなんだ!」

「やってもらっておいて感謝の気持ちが足りない!」

みたいな石を、しかも匿名性の高く実際に会う事もないような、SNSというツールの陰に隠れて、投げつける必要性は、全くない!!!!!!!!!

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私はうちの弟を含めて「障害があるから許してほしい」とは全く思わない。

障害者を「好きになってほしい」とも、全く思っていない。

それは何度も言うように、同じ人間だから。人間の感情は障害の有無関係なく “好き” と “嫌い“ で出来ているからである。

私の友人で幼い頃、近所によくいた知的障害者の子に暴力を振るわれた事があって、未だにちょっと苦手意識がある、という人もいれば、

はたまた別の友人も同様に幼い頃、同じ学校に通っていた知的障害者の男の子が、自分を見つけるとズボンもパンツも脱いで、下半身裸で追いかけ回されて嫌な思いをした、という人もいる。

そういう、過去に嫌な思いをした人に対して「障害者を好きになってほしい」とは思わない。けど「うちの弟はめっちゃイイやつなんですよ」って事だけは自慢させてもらう。それは「障害者として」ではない。ひとりの人間として、カワイイ身内として、です。

どちらの友人も、私がTwitterやInstagramなどで弟との日常を発信するのを見たり、私があれやこれやと話したり、実際会ってみて

「知的障害があっても、人によるんだな」

と思ってくれた。ありがたい。友人にも、人が好きでいてくれる弟にもありがたいと思う。

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今回の伊是名さんの件だったり、以前にもあったケースで

「お前が悪い!」

って言った人たち、障害者が嫌いなら嫌いでもいいのよ。嫌いなら、関わらなければいい。直接リプライで、バッシングする必要がありますか?

私は今回の一件で初めて「トーンポリシング」という言葉を知りました。

上記参考記事から、以下引用。

日本でも2017年ごろから目にするようになった「トーンポリシング」。英語でtone(口調、話し方)とpolicing(policeする=取り締まる)が組みあわさった表現で、直訳すると「話し方警察」「話し方の取り締まり」となる。

あれじゃん、いわゆる「自粛警察」「マスク警察」みたいなもんじゃん。

おそらくだけど、この “トーンポリシング” って、リアルに対面で話すよりも、SNS上で起こることが多い事象なんじゃないかな。

文字は言葉の温度がわかりづらい。SNSよりも以前に、メールというツールを万人が利用し始めてから思っている事だけど 、時に言いたいことがあり過ぎて、気持ちが一方通行になる事がある。

会話における “キャッチボール”の球は1球でグローブも1つずつなのに、あれっそっちいつの間にかボール5つになってない??という状態。もしくはキャッチボールだと思ってたのに相手はグローブじゃなくてバットに持ち替えて、こちらの投げる球を全力で打ち返してくるか、投げたボールを無視してそのバットで俺を殴ろうとこっちに走ってきてます??という状態になる事も。

私も過去に何度か、知人とのメールのやり取りで先方の意見と行き違う事があった。SNSの投稿に対して、その言い方ってどうなんですか?って詰めた事もあった。そうか、これもトーンポリシングなのか。それが会ったことのある知人でもそうでなくても、良くない事なんだな。障害を持つ人をサポートする職に就いている割に、街中で見かける障害者の事を下に見るような言い方した文章だったり、シンプルに言葉のチョイスだったり、その話にオチは?と思って許せなかったんだろうなー。

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…と、まあ皆さん、私みたいにこうして、ご自身の “庭” で、言いたいことを言えばいいのではないでしょうかね。

冷静に考えて、どっちが悪いかどうかなんて、当事者たちにしかわからない事なんだし。言った言わないの水掛け論と同じだと思う。

間違いなく言えるのは、蚊帳の外である我々は “どっちが悪いか” をジャッジするのではなく、自分の利用する電車の路線や地域がどれだけバリアフリー化が進んでいるのかとか、もしバリアフリーじゃない地域だった場合に、通行に困っている人がいたらどうやって声をかけようかとか、そういう事を考える方が有益だし、心穏やかに過ごせるんじゃないでしょうか。

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私は、以前も自分のコラムや各種SNSで書いていますが、もっと接点が増えればいいのに、と思っている。そのためにSNSでガンガン弟との暮らしを発信しているし、コロナ禍以前は電車を乗り継いで県外まで遊びに行ったり、遊園地に行ったり、音楽フェスにも遊びに行った。弟は私の友人や知人、はたまた私も知らないどこの誰かにも笑顔で握手してた。

そういう接点を、なるべくならリアルで持ちたい。SNSも便利だけど、SNSじゃなくて、リアルでね。

そのために、障害当事者や障害者家族がもっとオープンになるべきだ、と思っているし、伊是名さんはそういう思いも込みで今回の問題提起をしたんだ、と思っている。

ただこれは、全員がオープンになるべき!とは思っていない。障害があろうとなかろうと、どのご家庭にも「事情」というものがある。体調面だったり、他害を及ぼしてしまう場合はご家族にも不安がある。

私みたいにまあまあオープンにしている障害者家族だったり、車椅子ユーザーの方々、知的だったり精神だったり様々な障害を持った方が、このnoteをはじめSNSにはたくさんいます。何となく興味あると思う人は、その人や家族のライフスタイルや思考に目を向けてみるのはいかがでしょうか。

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最後に、うちの可愛い弟の写真を載せて終わります。

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モデル風情かよ。笑

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去年買った「加山雄三の新世界」Tシャツ。似合ってる。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

<完>

ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。