先使用権のあれこれ2

既に記事にあげた「先使用権のあれこれ」の続編である。
内容は、前回の記事で記した立場を変えるものではないが、もう少し、自身の考えを整理するために記載する。ただの備忘録のようなものである。

内容を少し刺激的にするために、「日本弁理士会中央知的財産権研究所 第20回公開フォーラム 先使用権-主要論点 大激論」の内容とリンクさせて、自論を語ってみたい。

1.先使用権制度の趣旨

基調講演では、主に、田村善之先生と、井関涼子先生が、先使用権制度の趣旨を語られた。田村先生は「実施の促進と過剰出願の抑止に求める考え方」を唱えており、井関先生は「特許法1条の法目的を根本とする考え方」を語られた。私の考えは、特許法1条の法目的に起因するものではあるが、御二方のいずれとも違う考えである。

そこでまず、特許法1条について、その意味を検討したい。

1条によれば、特許法は「産業の発達に寄与する」ことを目的としている。しかし、ここでよく考えてみて欲しい。資本主義経済の下、誰かが発明をし、発明に係る物を製造し、これを販売することで、産業は発達する。このような産業の発達構造は、特許法がなくても機能する
確かに、製造された物を分析することで判明した発明を第三者は実施することができ、模倣しやすいような物は、第三者も簡単に製造できるようになるという点はあるが、そうかといって、誰も物の製造販売を行わなくなるわけではない。
そもそも、特許法がなければ産業は発達しないわけではなく、特許法がなくても産業は発達するわけである。

そして、特許法がない状態で「発明をし、発明に係る物を製造し、これを販売していた者」は、特許出願をせずに発明を実施する者であり、この意味で、特許法がある状態における「先使用者」と同様の者と捉えることができる。
つまり、特許法制定以前から、法上の「先使用者」と同様の者によって、産業の発達は図られてきたということができる。そして、この者は、他人の発明を実施する権利によって自己の発明の実施を妨げられることなく、自由に実施ができていたのである。

そうすると、特許法がなくても産業は発達する以上、法1条が目的とする「産業の発達への寄与」とは、特許法がない状態と比べて、より産業が発達することへの寄与と解釈すべきであろう。そうでなければ、特許法の存在意義はなくなってしまうからである。それゆえに、特許法は、産業の発達をより促進させるための産業政策の一つに位置付けられるとも取れる。

特許法は、特許法の無い状態=発明の詳細が公開されることなく実施される状態よりも、発明の詳細を公開させる方が産業の発達に寄与することができると考え、公開代償として一定期間の独占排他権を与えることにより「発明の保護及び利用」を図る。
従って、法目的だけを考えれば、道理として、発明の詳細を公開しないで実施する者を「保護及び利用」の対象とする必要はない。

現実的に、発明の詳細を公開せずに物やサービスを実施することと、出願という形で発明の詳細を公開して物やサービスを実施することでは、第三者の発明の理解度は異なる。実施された物やサービスから、そこに用いられる全ての発明を把握できるとは限らず、また、そのための作業は決して軽いものではない。
発明の詳細を公開する者は、発明の詳細を公開しない者に比して、特許法の掲げる産業の発達に明らかに寄与するのである。

このように、特許法という法律を作ることの意義から法1条の目的を読み解けば、特許法上の「先使用者」は、特許法1条の「産業の発達に寄与する者」、つまり、「特許法の存在によって更に産業の発達に寄与する者」ではないと考えることができるわけである。
また、俗な言い方をすれば、「先使用者」とは、特許法が制定される前から存在していた「既得権者」ということもできよう。

それゆえに、私の考えでは、「先使用者」を保護する必要性を法1条から直接導くことはできない。私のこの結論は、特許法1条を起点とするものではあるが、法1条から先使用者が保護されるべきことを導く井関先生の考えとは全く異なるものである。

それでは先使用者はなぜ保護されなければならないか。

それは、既得権者の立場の保護にあり、特許法の法目的の達成そのものからくる要請ではなく、その達成のために既得権者が一方的に被害者となることを避けるべきという意味での公平論からくるものである、と私は考える(便宜的に既得権保護論と名付けておく)。

特許法は、特許を出願した者に独占排他的な権利を与えるため、特許権が存在することによって、これまで自由な実施が保障されていたはずの既得権者は、自由に実施ができなくなるという制約を受ける。
つまり、発明を公開せずに実施したい先使用者=特許法の制度を利用せずに発明を実施したい者の立場から見れば、特許法は、自らを保護してくれる法ではなく、単なる制約立法でしかない。
そのため、仮に、法が、既得権者に対する何らの手当もせず、既得権者が一律にこのような制約を受けてしまうとすれば、既得権者は自己の実施を守るために、結局は特許出願をすることと余儀なくされる。

発明を公開せずに実施したい者(特許法の制度を利用したくない者)に対し、一方的に実施を制約し、半強制的に特許出願をさせ発明の公開を迫る(特許法の制度を利用させる)ような立法では、制度利用者と制度不利用者との間の公平を欠くばかりか、憲法上の権利(自己決定権、思想良心の自由、営業の自由等)との関係でも問題が出てくるかもしれない。

このように、ウォーキングビーム式加熱炉最高裁判決で述べられた「特許権者と先使用権者の公平」とは、特許権者と先使用権者をそれぞれ、「公開代償として特許権を付与するという特許法の制度の”利用者”と”不利用者”」と捉え、「制度不利用者が制度利用者に対し、一方的に不利な扱いを受けることのないようにする」という趣旨を意味している、というのが私の考えである。

井関先生は、「特許制度の趣旨から、出願人の発明公開の意思表示である出願よりも先に発明をし、その実施をして、産業発達の法目的に寄与していた先使用者もまた保護されるべき」と述べるが、従前(特許法制定以前)通りに発明の詳細を公開せずに実施する先使用者を、法目的である「産業発達」に寄与していた者と捉えることは、発明の公開を産業発達の手段とする特許法と根本原理に矛盾した論理にもなっているように思える。
また、井関先生の「先使用者もまた産業発達の法目的に寄与していたから保護されるべき」との論理に立てば、なぜ「通常実施権」なのかという点を論理的に説明することが難しい。つまり、なぜ、産業発達の貢献者である先使用権者に、特許権者に対する対抗力のみしか与えられず、第三者の実施を排他することができないのか、という疑問が生じることになる。
この論理に立つならば、むしろ、先使用権者に専用実施権を与えつつ、「特許権者が先使用権者に対抗できる」という制度の方が理に適っているだろう。しかし、このような制度では、「発明の公開」を促進したい特許法の法目的に反してしまう。やはり、先使用者を、法目的である「産業発達」に寄与していた者(保護すべき者)と捉えることは、難しいように思える。

なぜ通常実施権で事足りるのか、という点は、私の既得権保護論からは論理的に説明できる。既得権者の立場にある先使用者は、特許法制定以前から、第三者に対する排他権を有していないのであるから、わざわざ排他権(専用実施権)を与える必要はない。あくまで、制度利用者である特許権者による不当な制約を受けなければよいのであるから、通常実施権で事足りるのである。(制定当初の「特許権の効力が及ばない」にも適合する。)

また、田村先生の「過剰出願の抑止」という考えも、出願を通した発明の公開によって産業の発達に寄与するという特許法の法目的に適っていないという点を克服しない限りは、十分な説得力を得ることはできないように感じられる。
加えて、「実施の促進」というのも、そもそも、特許法制定以前は、発明を実施する者は全て「先使用者」と同様の者であるのだから、先使用者の実施を促進したいなら、発明の公開を要せずに、特許権を付与してやればよいだろう。しかしながら、発明を公開しない者に特許権を付与することは、特許法の根本原理に反するため、特許法が、先使用者による実施を促進するものという考えも納得するのは難しい考え方といえる。そもそも、先使用者による実施を促進したいならば、79条を規定するのではなく、特許法を制定しなければよいだろう。(79条があっても、先使用者は、排他的な権利を持つわけではないのであるから、先使用者の視点からすると、特許法があってもなくても第三者が模倣できることに変わりはなく、特許法によって従前よりも実施が促進されることにはならない。)
田村先生は「先使用権の制度があることによって、 この実施をためらう度合いが減り、出願に走る度合いが減るということです。」と述べているが、確かに、先使用権の制度があることで出願に走る度合いは減るとは言えるものの、それが特許法1条の法目的に適っているかは別問題であろう。
法目的からすれば、出願がされるほど多くの発明が公開され、特許法という法律の存在意義が高まるのであるから、この法の中で「出願の過剰」という考えを観念することは難しく、どれだけ出願されてもそれが「過剰」ということにはならないように思える。出願の数が増えることは、特許法にとって、何ら困る状況ではないのである。

2.先使用権の要件および効力

それでは、先使用権制度は、どの程度「先使用者」を保護すべきか。これは、先使用権の要件と効力の問題である。以下では、既得権保護論の考えに基づいて、これらについて論じていきたい。

大前提としてまず認識しておきたいことがある。それは、先使用者が不当な扱いを受けないように(先使用者の憲法上の権利が不当に侵害されることのないように)、先使用者を保護する一方で、特許法の法目的からすれば、発明を公開した者を保護することに特許法の存在意義がある以上、発明を公開した者よりも先使用者を手厚く保護する必要はないということである。先使用者の保護が、特許権者よりも優遇されてしまえば、より多くの者が発明を公開しなくなり、法目的に逆行するためである。

「発明をし」の要件

79条は、先使用者に「発明をしたこと(あるいは発明をした者から知得したこと)」を要件としている。特許権者が「発明をした」者である以上、特許権者との公平を図る上では妥当といえるだろう。

しかし、ここで問題となるのは「発明の認識」についてである。つまり、「発明をする」というのは、その発明が具体的に構成されていればよく、発明者がその具体的な構成を認識していることが必要か、という問題である。

既得権保護論の考えからは、認識が必要、という帰結になる。

特許権は、著作権のように、創作した時点で自動的に権利が付与されるわけではない。(仮に、特許権が、創作時点で自動的に付与されるもので、出願という形式的手続きを踏むことでその権利が対外的に顕在化するといった性質の権利であれば、先使用権の見方も変わってくるだろう。)
そのため、特許権を得るには、出願という形で、第三者が実施できる程度に発明の詳細を公開することが必要で、特許権者よりも優遇しないという立場からは、先使用権によって保護される発明は、先使用者が出願をしていれば取得できた権利の範囲に留まることになろう。

発明を認識していなければ、先使用者が出願をしてたとしても、その出願の明細書に、認識のない発明を記載することはできず、請求項に記載することもできない。よって、先使用者に与えられる先使用権は、先使用者が認識した発明の範囲に留まるべきということになる。

さてここで、「日本弁理士会中央知的財産権研究所 第20回公開フォーラム 先使用権-主要論点 大激論」における設例を借りて、具体的な当てはめをしてみたい。(具体的な設例の内容はここでは記載しないので、興味のある方は、オリジナルを参照頂きたい)

設問1-1:「〇」
 この設例では、Y1は、「A成分+B成分+C成分+D成分を含有し、D成分の含有量が0.02%である」という請求項を記載することはできたといえる。そこで、Y1が、「D成分が、A成分+B成分+C成分を安定化させること」を認識しなくても、この請求項の権利を取得できたか否かで、結論が決まる、と考えることができる。この辺りは、田村先生の考え方に似ているだろう。
 既に前回の「先使用権のあれこれ」記事でも挙げた判例、令和4年(ネ)第10094号では、既知の化合物に新たな成分(追加の化合物)が存在することを見い出しただけの発明を、新規性/進歩性ではなく、サポート要件違反と判断している。これに倣うならば、D成分が0.02%含有することを知っただけでは、この請求項に特許権は認められないことになり、よって、本件特許発明に対する先使用権は認められないという結論になるだろう。

 しかし、私の回答は「△」ではなく「〇」である。

 それはなぜか。Y1は、出願をしていれば、上述の「物」だけでなく、「製品Pの製造方法」という物の製造方法の権利を取得できたからである。

 特許権は「発明の実施」を専有する権利であり、「物の製造方法」の実施には「方法により生産した物の譲渡等」が含まれる。そうすると、製品Pの製造過程でD成分が混入するならば、その製造方法により生産した物は「A成分+B成分+C成分+D成分を含有し、D成分の含有量が0.02%である製品P」となる。

 Y1が、「A成分+B成分+C成分+D成分を含有し、D成分の含有量が0.02%である製品P」の実施を専有するために取得できなければならない権利はなにも「A成分+B成分+C成分+D成分を含有し、D成分の含有量が0.02%である製品P」という物の発明である必要はないわけである。この設例では、製品Pの製造過程で必ず0.02%のD成分が混入するのであるから、製造過程の発明(物を生産する方法の発明)で十分であろう。

 よって、私の回答は「〇」となるわけである。 

 設問1-2及び1-3は、「偶然に」の解釈によりけりである。ディスカッションの内容を見ても、「偶然に」が幾通りにも解釈できるため、それぞれの先生が、自らの回答に適合した意味で「偶然に」を解釈して主張しているように見える。(その意味では、一貫した議論ができないため、設例ミスであろう)

 製品Pの製造方法は、D成分を0.02質量%前後に留めるような製法ではなく、Y1が実施したときには偶然に0.02質量%前後に留まったというのであれば(つまり、Y1が実施したのと同じ製法を実施すれば、0.01~0.05質量%の範囲外になる可能性も十分にあるならば)、先使用権は及ばないということになる。なぜならば、製品Pの製造方法によって製造される物は「A成分+B成分+C成分+D成分を含有する製品P」に留まるからである。

 一方で、製品Pの製造方法はいくつか考えられるが、このときY1が採用した製品Pの製造方法は、偶然にも、D成分の量を0.02質量%に留めるものであったというのであれば、先使用権は及ぶということになる。偶然であろうが、Y1が採用した製造方法によって製造される物は「A成分+B成分+C成分+D成分を含有し、D成分の含有量が0.02%前後である製品P」であるからである。

 おそらく、上記の私の考え方は、上記フォーラムで、いずれの先生からも出なかった発想であろうが、私自身は、なぜ、特許発明が「物の発明」であるからといって、先使用者も「物の発明」に縛られなければならないのか、不思議に思うところである。

 確かに、先使用者は、その特許権についての通常実施権を得ることになるため、その特許権が有していない「物の製造方法」についての通常実施権を得ることはできない。よって、先使用者が「物の製造方法」の発明をしていても、「物の発明」の特許権についての通常実施権を得ることはできないのではないか、という考え方もあるだろう。

 しかし、先使用者は、特許出願よりも前に発明をしているのであるから、先使用者が製造方法の発明しか認識していないからといって、その発明によって製造された「物」に対して、通常実施権が与えられないのは、理不尽ではなかろうか。
 製造方法の発明によって製造された物の「実施」を専有する権利は、出願をしていれば取得できた権利なのである。それにもかかわらず、出願をしなかったという理由だけで、特許権によって物の実施に制約が課されることは、既得権保護論の考えからは、上述した「公平」に適っておらず、制度を利用しなかったというだけで一方的に不当な扱いを受けることになるだろう。

 よって、先使用者が「製造方法」の発明をしていた場合には、「その製造方法によって製造された物」の実施を保護するために、その「物」に対して、「物」の特許権についての通常実施権を与えてよい、というのが私の考えである。

 なお、井関先生は、設問1-3の中で「何か分かっていないけれども、同じ原料で全く同じ製法で作っていて、必ず0.02以外になりようがないのだ、客観的にそうなのだということであれば、「偶然に」の読み方だと思うのですけれども、先ほど髙部先生もおっしゃったように、先使用権は成立していいと思うのです。つまり、客観的にはほかになりようがないのだと分かっていなくても、主観は関係ないと思っています。」と述べられている。
 先使用権を認めていいという結論は同じであるが、その根拠は全く異なっている。井関先生は、客観的に「物の発明」が完成するのであれば、発明者の主観(認識)がなくてもよいという考えのように見受けられるが、私の考えは、必ず0.02以外になりようがないのであれば、「製造方法の発明」の認識で事足りるというものである。
 井関先生は、基調講演の中で「特許権者は、特許出願によって発明を広く早期に公開し、社会全体の技術水準の向上に貢献したわけですし、クレームによって特許発明の範囲はここまでというのを明確化して公示しています。これに対して先使用者は、発明の実施により貢献はしましたが、両者を比べたときに、特許法の法目的に、より適う行為をしているのは、やはり社会全体に技術情報自体を公開している特許権者だと言えるでしょう。」と述べ、先使用者よりも特許権者を保護すべき立場に立っていたようにも思えるが、先使用者の主観的な認識がなくても客観的に発明が完成していれば先使用権を認めてよいという論理は、自らの立場に相反しているようにも感じられる。先使用者が公開できなかった発明にまで先使用権を認めてよいというのは、公開できた発明にしか権利が与えられない特許権者に比して、明らかに優遇されているからである。

79条の「その発明」とは

 上記の「先使用者が物の製造方法の発明をしていた場合には、その製造方法により製造された物の実施(特許法2条3項三号の実施)に対し、物の特許発明の通常実施権を与えてよい」という私の考えにおいて、最もクリアしなければならない壁は、79条の条文解釈であろう。

 「その発明」を特許発明と解釈すると、特許発明が「物の発明」であれば、先使用者も物の発明をしていなければならないことになり、上記の私の考え方は当てはまらないことになるからである。

 しかし、特許法は、68条や70条など、いくつもの条文において「特許発明」という言葉を用いているものの、79条の条文は「特許出願に係る発明」という言葉を用いている。また、「その特許発明に係る特許権についての通常実施権」とは記さずに「その特許出願に係る特許権についての通常実施権」という言葉を用いている。

 そうすると、79条における「その発明」が、手前に記載された「発明」を指すからといって、「特許発明」であると解釈しなければならないわけではない。「その発明」とは「特許出願に係る発明」なのであるから、「特許出願に係る発明」の解釈次第ということになる。

 感覚的には、特許出願に「物の発明」しか記載されていなかったとしても、「その物の製造方法の発明」を、「特許出願に係る発明」と解釈することもできるように思える。
 79条は「特許出願に係る特許権」と「特許出願に係る発明」を区別して
おり、特許出願に「物の発明」しか記載されていなかった場合には、「特許出願に係る特許権」が「物の発明の特許権」であることは疑いようがない。そして、「その発明の実施が、特許権の効力によって制限されることになる発明」つまり、「特許出願に係る特許権の効力によって実施が制限されてしまう発明」を「特許出願に係る発明」と解釈すれば、条文上の問題もクリアできるだろう。

 なお、私のこのような立場からすると、「発明の同一性」に関し、①先使用の実施形式が特許発明の技術的範囲内であること、及び、②先使用発明の技術的思想と特許発明が同一であること、のいずれも必須ではないということになる。
 ①については、先使用の実施により製造された「物」が、特許権者の特許発明の技術的範囲内にあれば、必ずしも、実施形式が技術的範囲内であることは要さないからである。
 ②については、前回記事でも最後に述べたが、少し補強しておくと、まず一つには、発明は「技術的思想の創作」であり、最終的に表れるのはあくまで「創作」なのである。第三者は、その発明者の技術的思想を把握しなくても、創作できれば発明を実施することができるのであるから、全く同じ技術的思想でなくとも、同じ発明に辿り着ければよいはずであろう。(私は、79条の「その発明」を「特許発明」とは解釈しなくてよい立場なので、このような考えも整合しやすい。つまり、特許権者のした「特許発明」と解釈する立場からは、70条が特許発明の技術的範囲の解釈において、明細書等から発明者の技術的思想を考慮することが規定されているため、その特許発明をするには、技術的思想の一致が必要になるという結論に整合しやすいのである。但し、技術的思想を考慮して技術的範囲が解釈されるからといって、同じ技術的思想でなければ必ずしも同じ技術的範囲の発明に想到できないわけではないため、発明同士の技術的範囲の重なりは、異なる技術的思想からも生じ得るはずである。)
 またさらに、79条は、特許権者と先使用者が、互いの発明を知らずに、自ら発明していた場合を想定しており、少なくとも、特許権者には、先使用者のした発明と同じ技術的思想によって、自らの発明に到達することは要求されていない。特許権者が、先使用者のした発明の因果経路(技術的思想)に束縛されずに自由に自らの発明をすればいい立場にある一方で、先使用者だけが、特許権者のした発明の因果経路に縛られるというのも、「公平」ではなく、特許権者が一方的に有利となってしまうため、不当な扱いといえるだろう。

「出願の際現に事業または事業の準備をしている」の要件

 この要件については、これが最適解であるとは思っていないが、致し方なくこのように規定されたものと思っている。
 特許権者の「出願時期」と、先使用者の「事業時期または事業の準備時期」を比較するものであるが、「出願」を比較対象とすることは問題ない。出願人同士も、先願主義の下で、出願の先後を争うっているのであるから、先使用者との間でも出願を基準にすることは、公平に適っているといえるだろう。

 問題は、先使用者のどのような行為を比較対象とするかである。

 まず、客観的に評価できない主観的な行為を比較対象とすることは、法的安定性の観点から望ましくない。また、「出願」が客観的に特定できる行為であることとのバランスも取れていない。(特許権者よりも優遇する必要はない)
 先使用者は、出願もせず、発明を公開もしないで、業として実施をするのであるから、やはり、比較対象を「業としての実施」に持ってくることに行き着くことになろう。
 しかしながら、ここで問題になるのは、「発明をしてから出願をするまでの期間」と「発明をしてから事業をするまでの期間」のバランスである。明細書の記載ボリュームによって多少の長短はあるものの、前者の期間は、そこまで大きくぶれないだろう。一方で、事業化は、技術分野によって大きく異なり得る。例えば、ネット上のサービスであれば、比較的早期に実施ができるが、法律上高い安全性基準が求められる物や、人の生命に関わる医薬品などは、実施までに長い期間を要することになる。
 私は、79条が「事業」だけでなく「事業の準備」も含めたのは、上述のように「事業時期」だけではカバーできないアンバランスを吸収するためではないかと考えており、また、「事業の準備」とは、このような考えの下、解釈して運用すべきであると思っている。
 「事業の準備」の解釈をもってしても、「発明をしてから出願をするまでの期間」と「発明をしてから事業の準備をするまでの期間」がアンバランスになるようでは、特許権者よりも著しく先行して発明をしていた先使用者だけが、先使用権によって保護されることになり、なぜ、特許権者とおよそ同時期に発明をしていた先使用者が保護されないのかを、合理的に説明することが難しくなるだろう。

 「発明をしてから出願をするまでの期間」と「発明をしてから事業をするまでの期間」を比べた時、現実的に、出願に要する期間よりも事業化に要する期間の方が短いというのは考え難い。よって、両者の期間の乖離は、先使用者(制度不利用者)の不利益に繋がるのであり、この乖離が一定の限度を超えれば、先使用者が一方的に不当な扱いを受けることとなるため、「特許権者と先使用権者の公平」も図られないことになろう。

 裁判所は、「事業の準備」の解釈と運用については、本質を考えて、より柔軟に判断すべきではないかと、個人的に思う次第である。
(できることならば、判例変更をして、「即時実施の意図」ではなく、いくつかの要素(例えば、事業形態(B2BかB2Cか等)や、事業転換(中止や変更)のしにくさ(他の企業とのやり取りの有無等)、法的規制の実態など)から、当業者であれば事業化への意思が顕在化したことを通常認識するといえるか否かを判断するような、総合考量型の判断基準にして欲しいところである。)

「実施又は準備をしている発明の範囲」の解釈

 ウォーキングビーム式加熱炉最高裁判決では「具現された発明と同一性を失わない範囲内において変更した実施形式にも及ぶ」と判断された。
 ここには、二段階のステップがあることになる。一段階目が、具体的な実施形式から、そこに具現される技術的思想の創作である発明を特定する段階であり、二段階目が、特定した発明と同一性を失わない範囲を特定する段階である。

 そこで「同一性を失わない範囲」がどこまでかという問題が生まれる。

 発明の同一性を失わない、という言い方が回りくどいが、同一性を失っていないのであるから、言い換えれば、同一性は保たれているということになる。つまり、「発明の同一性が保たれている範囲」において、先使用権は及ぶと考えればよい。

 特許法が、その法の中で「発明の同一性」をどのように判断しているかは、29条の2や、39条に現れている。29条や39条はまさに、発明の同一性という観点から、特許法という法律が保護すべき発明と、保護すべきでない発明の線引きを図っている条文といえるだろう。

 森田先生が採った「周知慣用技術基準」はまさに、審査基準で示されている、29条の2及び39条の実質同一の類型を指している。29条の2と39条の両方に共通する実質同一の類型が、周知慣用技術の付加・削除・転換である。

 それでは、先使用権においても、29条の2及び39条の実質同一の考え方をそのまま踏襲してもよいか。既得権保護論の考えから、公平が保たれているかを検討してみる。

 特許権者が特許権を有することで、後願によって実質同一の発明の特許権を他人が取得することを防ぐことができている。例えば、特許権者のした出願の明細書に周知転用技術が具体的に記載されていなくても、このような後願排除効が発生することになる。つまり、特許権者は、特許権者のした発明に周知転用技術を適用した発明の特許権を有するわけではないが、他人に権利を取得されることもないのだから、実施が邪魔されることはないという意味では、通常実施権を有しているのと同様の効果を得ることができているといえるだろう。
 そうであれば、特許権者が、特許権によって、その特許発明と実質同一の発明に対する通常実施権と同様の効果を得ている以上、先使用者も同様に、先使用者のした発明と実質同一の発明にまで通常実施権を有することは、先使用者を特許権者よりも厚遇していることにはならず、公平ということはできるように思える。

 但し、実質同一を踏襲する考えは、ウォーキングビーム式加熱炉最高裁判決の「先使用権者が自己のものとして支配していた発明の範囲において先使用権を認めることが、79条の文理にもそう」との判旨との噛み合いが悪いという問題があるだろう。

 先使用者は、ある実施形態の変形例などを明細書に記載しておける特許権者とは違い、実施形式の他の形式を実施しておくことが現実的ではない。先使用者が、その実施形式から、どこまでの発明を自己のものとして支配していたかは、主観的な側面であり目に見える形で現れないことから、非常に特定が難しいことであろう。
 技術分野や発明対象によっては、周知慣用技術が多数存在する場合がある。それでは、先使用者の頭の中に、自己のした発明に加えて、全ての周知慣用技術を適用し得ることまでが想定されていたかというと、必ずしもそうではないこともあろう。
 最高裁のいう「自己のものとして支配していた発明」というのは、その言葉通りに取るならば、結局のところ、技術的思想として認識できる発明の範囲を超えたところにまで先使用権を及ぼすことを認めるものではなく、その技術的思想の範疇の中で、具体的に示された実施形式に限らない実施形式を許容するに過ぎず、先使用権は、先使用者のした発明の技術的範囲において、特許権と重なり合いが認められる部分に及ぶことに言っているだけと取るのが自然かもしれない。

 ここでまた、設例を借りて、検討をしてみる。
 ウォーキングビーム式加熱炉最高裁判決の判旨に従えば、設問3-4は「〇」ということになるのではと思ったが、梶並先生、井関先生の他に、髙部先生も「×」としているところが実に興味深い。

 設問3-4では、出願の際の実施形式が0.07質量%であるが、そこに具現された技術的思想は「安定化」であり、「安定化」という技術的思想の発明の範囲は、0.01~0.07質量%である。Y3は、0.01~0.07質量%で安定化することを確認しているのであるから、この範囲は「自己のものとして支配していた発明」ということもできるだろう。
 そうすると、先使用者Y3のした「発明の範囲」は、0.01~0.07質量%であり、本件特許とは0.01~0.05質量%で重なっている(本家特許の全部と重なっている)のであるから、先使用者が得られる通常実施権は、本件特許の全部に及ぶ、という結論になるはずであろう。

 最高裁は、「実施形式」ではなく、「実施形式に具現された技術的思想」が、先使用者のした発明の範囲=「実施又は準備をしている発明の範囲」であると述べている。そうだとすれば、ここで特定すべき「先使用者のした発明の範囲」を、特許発明の範囲内に限って特定する必要性もないだろう。
 そして、具現された発明と特許発明を比べ、重なりが特許発明の一部にしかなければ先使用権は一部にしか及ばず、全部であれば先使用権は全部に及ぶと述べており、ここでも、先使用発明の方が特許発明よりも広い権利になってはならないなどとは述べられていない。
 0.01~0.07質量%で安定化するという発明を見い出した先使用者が、偶々、出願時の実施形式として0.07質量%を採用していたからといって、それだけで(運の要素だけで)先使用権を有するか否かが決まってしまうことの方が理不尽であるはずだが、私からすると、この設問は非常に不思議な回答であった。

利用発明に対する効力

 さて、フォーラムでは、利用発明に対しても先使用権が及ぶかについて語られた。
 私の立場からは、利用発明に対しても先使用権が及ぶ、ということになるが、その結論に至る論理は、いずれの先生とも異なるものといえるだろう。

 最初に明らかにしておきたいのは、ウォーキングビーム式加熱炉最高裁判決の射程に利用発明は含まれていないだろうということである。
 この判決は、実施または準備をしている「発明の範囲」とは、「技術的思想すなわち発明の範囲をいうものであることを根拠に、先使用権の効力を判断している。つまり、先使用者のした発明も、特許権者のした発明と同様に、技術的思想から捉えるべきであり、実施形態に固執すべきではないという考えを示したに過ぎず、両者のした「発明」を公平に扱うべきことを述べたに過ぎない。

 先使用者のした「発明」はどの範囲までか(具体的な実施形式のみか、そこから具現された技術的思想の創作か)を判断しただけであるから、利用発明が先使用者のした「発明の範囲」に含まれないことは明らかである以上、議論としては全く別物というべきであろう。

 既得権保護論の考えは、制度利用者と制度不利用者の公平である。そして、特許法は、その制度において、法72条で「特許発明が他人の特許発明を利用するときは、業としてその特許発明を実施することができない」と規定する。加えて、法92条は、利用発明に関し、裁定通常実施権を規定する。つまり、ある特許発明の利用発明を実施したい者は、その特許発明の通常実施権を有すればよいことを特許法は規定しているのである。

 そうすると、先使用権者は、利用発明のもととなる特許発明について、79条により通常実施権を有するのであるから、利用発明についても実施することができるようにすることが「公平」に適うといえるだろう。
 もととなる特許発明について先使用権を有していても利用発明が実施できないとなると、結局のところ、制度不利用者に対して利用発明に対する特許出願を強制することになるだろう。利用発明については常に特許出願をしなければ実施できないとなれば、制度不利用者の意思(利用発明も公開せずに実施したいという意思)を不当に害することとなり、「発明」という点で共通しているのに、なぜもととなる特許発明は実施できて利用発明は実施できなくなるのかを合理的に説明することができない。

 よって、先使用者は、ある特許発明に先使用権(通常実施権)を有していれば、その利用発明についても実施することができる(その特許発明の特許権に対抗することができる)という結論になる。

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