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You don't form in the wet sand,

やっと秋の気配がする、それにもう9月だから。
夏が来る時は無視しようとするのに、9月になった瞬間、もう秋だと自分の中で言い聞かせて些細なことに季節を感じようとするのはなぜだろう。
日本の夏が苦手だというよりは、好きな夏を違う国で知ってしまったからなのかもしれない、夏だけSan Diego に居たいかも。
日が暮れる時間が早くなったとか、そんなの夏至が終わったら少しずつ短くなっていることだって知っているのに、秋に対しての贔屓がすごいのは年々感じてはいる。

Twitterを去って1か月くらい、恋しくなることもあるけれど後悔はしていない。全く後悔はなかった。感想は自分が軽くなった気がした、よくわからないけれどミニマリストが、断捨離する感覚ってこんな感覚なのかもしれないとも思った、なんていうかずっと必要だと思っていたものは意外とそうでも無くて、手放したらその分解放されて心が楽になれる感じ。Twitterが悪いんじゃなくて、溢れ出る広告に疲れていたり、不必要な誰かへのおすすめ、が私にはシンプルによくなかったんだと思う、変だけど金銭感覚も研ぎ澄まされたような気がする。それにもっと自分が大切にしたいものや信じたいものを信じれる感じ。またきっと一つ強くなれたよね、

8月の終わり、16歳からの親友達と韓国に行ってきた。
私たちは変わらない、些細なことでめちゃくちゃ話し込んだり、ずっと笑ってた。私たち4人は高校1年生の時同じクラスだった、席もみんな近かった。入学式で会った日、前に座っていた後に親友となる彼女は、台湾にいた頃弾丸でチケットを買って会いにきてくれたし、右隣に座ってた親友は、私が静岡で働いている時に福岡から来てくれた、斜め前に座っていた親友は、私が仕事を辞めたタイミングとほとんど一緒で彼女はカナダに飛び立った。

韓国旅行の時、Airbnb で予約した時よく見ていなかったけれど、チェックインしたら部屋には、キングサイズのベットが一つとシングルサイズのベットが一つだった。どの3人がキングサイズベットで寝て、誰がシングルサイズで寝るのか、アミダクジで決めた、そんな些細なことなのにめちゃくちゃ盛り上がった、2日連続シングルはずるい!とか、一回シングルベッドで寝たら次はキングサイズの真ん中で寝た方がフェアだ!とか。
でも結局誰がどこに寝るかなんて重大なことではなく、最終日はシングルで2人で寝たりしてた、

そういう意味で、ほんとに私たちは16の頃から変わってない。大学に行っても、大学院に行っても、薬剤師になっても、カナダに飛び立っても、私たちは4人で集まると、何も変わっていないように本当に感じるの。

ちょうどその日に同級生が出産したらしい、
ねぇ明日香、今日子供生まれたんだって、
へぇ、そうなんだ。
あの人が結婚した、とか妊娠したとか、出産したとか、誰かから出産は20代がやっぱりいいよ、と言われたり、26歳の私はそんな時間軸の中で生きている。

いつか釜山に数ヶ月くらい住めますように、なんて渡韓する度に思うけれど、観光で数日楽しめるのと暮らすのはきっと違うんだろうなとも思っている、

とりあえず来年の誕生日は海外で過ごしてみようと思っている。

故郷を忘れた日本人へ
という本を読み終わった。
世の中には手っ取り早く学べるコツやスキルやHow toの本が多くて、自分の心の核心着いてくれるような本を長らく出会えていなかったのだけれど(特に新書は)ずっとこれだこれ!という本に出会えた、というのもお世話になった先生がいつのまにか教える事をやめて、本を出していたことをFacebookで知ったから早速買ってみた。その先生は私の人生観を大きく変えてくれるというか、私が試行錯誤して辿り着いた価値観や道にずっと前から辿り着いていている感じ、だから考えもすっと心に入るんだよね、

自分の疑問を通勤の時間に少しずつ読んでる。起承転結は無いから飛ぶような読み方はしない、一文一文心に落とし込んで行く感じ。 

帰宅途中、綺麗な人が本を読んで少し読んでは目を閉じて、きっと読んだ文を落とし込んでいて、また読み返していた。彼女が読んでいる本は哲学の本だった。

見栄やプライドなんて本当に要らない、
本当に必要ないのに、ちゃんと捨てるまで本当に本当に時間が経ったの。見栄が私を強くさせてくれているような気がして、プライドが何も無かった私を奮い立たせてくれたような気もして。

私はとっても弱い見栄っ張りな人間だったと強く感じるし、今もきっとそんなに変わってない。

それに私は基本的に飽き性だ、色んなことをパッと始める勇気はあるけれど継続する力はそんなにない、よっぽど好きなことじゃない限り、長く努力したり時間を費やすことは出来ない、それは話す事ではなかった、だからPodcastもきっといつか途絶える気がして遠のいた。それは動画編集ではなかった、だからYouTubeも考えていたけれど、今は興味がない。それは綴ることだった、この5.6年間コンスタントに文章を綴ることは一度も苦と思ったことはなかった、一つのメディテーションになっていて、私の中の大切な習慣になっていた。

変化を追い求めていた20代前半、今の私は至って規則正しく、そしてさほど変わらない毎日を繰り返して過ごしている。そしてそれが心地よいと感じてもいる。

20歳の頃の自分が聞いたら驚くだろうな。あの時の頃の自分は外の世界に刺激や変化を求めて翻弄していたから。違う国に行くことがその時はある意味正義だと思っていて、日本に居続ける選択をすることはとても人生の時間の無駄なように感じていた。

変化は外に求めるものではなく自分の内側から作り出せるものだと知っている、捉え方や考え方を変えないと外の景色を変えることはできても、その景色をずっと新鮮に感じ続けることはきっと難しい。

日々の中で
朝と夜寝る前のお香や雨の日のキャンドル
湯船に毎日浸かること、朝のお庭の手入れ、床掃除。あとは部屋に生花を置くようにしている。生花を長持ちさせることは意外とそんなに難しくない、水を清潔に保つこと、茎を切って、茎のきれいな切断面を出してあげること。

そんな些細な日常がグッと心地よくさせてくれることに気づいたのは本当に最近だ。
人生の豊かさは必ずしも外の世界で決まるとは限らないね、瑞々しく心地よく生きていきたいな。

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