宇宙より脳に興味がある

頭に思った文章がそのまま文にならんもんか。相手に伝わらんもんか。そう常々考えている。なぜなら苦手だから。
とにかく文章を書いたりメッセージを書いたり相手に要点を伝えるために喋ったりするのが苦手というのが提示され大変意識してきはじめたのは、太陽の小町という男女コンビを組んでからだ。

文章は本当に間に合わんのだ。例えば「あいうえお」という文章を書くとき、
「あ」と書いている時にはもう「い」「う」「え」「お」を考えているし、更には「いわし」「うねり」「えがお」「おみまい」などの考えている文字から始まる言葉の派生が始まり脳内がスクランブル交差点と化している。そして「笑顔が似合う女性っていいよなー」とかまで考えが走っていき、そんなことを考えていると「あ」を書き終え、いかんいかんと次はなんだったか?そうだそうだ「い」だ。と今来た道を戻る作業になる。

そして「い」を書き出しているときにはもう「いわし」「うねり」「えがお」「おみまい」たちはどこかに過ぎ去って消失してしまい、それすら思い出せない状態になっている。その消失の跡を探しながら同時にまた「うみ」「えのき」「おきなわ」がパッと出てきてその出てきた「おきなわ」に引っ張られ「そういえば昔付き合ってた子と沖縄に旅行に行ったとき、ベランダでその子が急に泣いたけどあれなんで?」などがフラッシュバックしてきたりもする。そして「い」を書き終わる頃に次はえーっとそうだそうだ「う」だ。と「う」に移る。

「う」を書いているときには「あ」から「い」に移る時に出来た、本来の道に戻るということがもうしっかりできなくなる。つまり、「う」を書いているときに「え」、「え」からの派生の言葉、「お」、「お」からの派生の言葉を考えるところまで戻れないのだ。何をしているかというと「い」から「う」に向かうときに消失してしまった中の残滓である「沖縄の女」から、「沖縄に行って泣いた女と沖縄料理屋で知ったかでミミガーを頼んで残した女は同一人物か?」などとを考えて、「何故私はあの女にあのときしっかり残すなと注意できなかったのか?注意するにはどうしたらよかっただろう?」と考えている。そうこうしていると「う」を書き終える。

その頃には本来の目的を忘れてしまい、ミミガーって豚の耳を食べようって思うのすごいなー。あれれ?私は何をしたかったのか?と軽い記憶喪失状態で今している作業を一から見直す必要がある。なので手元の「あいう」を読み返す。読み返すと「あいう」があり、そうだそうだ「あいう」と書いていたんだ。となる。次を書かないといけないんだろうけど、そこで逡巡してしまう。次は「え」かなあ。いやちょっと待てよ。もしかしたら「け」のほうがしっくりくるんじゃないか?いや、略して「お」でもいいのか?「ぇ」でもいいのか?思いきって「ん」はどうだ?と長考が始まり筆が止まるのだ。そして延々考えて結局「え」に戻るのである。

次は「お」だ。最後の「お」の時だけ「お」について純粋に考える。「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」「お」
脳内「お」のお祭り状態である。「お」を考えて考えて「お」を書く。もしそこで一つくらい「あ」が混じってるのではないのか?等と考えてしまうとまた「お」の部分に「あ」が混じっていないか振り返ってしまう。しかしその確率は10回に1回程度の確率であり、基本は「お」のことだけを考える。
そうしてようやく「あいうえお」という文章を書き終えるのである。
とにかく脳内のイメージの広がりが宇宙のように全方位に広がるので、もうペンの処理が間に合わない。脳の早さに指が追い付かなくて文字が荒れて荒れて汚くて見直してもわからないときがある。


この事象は会話でも起こる。むしろ会話の方が起こりうる場合が多い。
会話の場合は特にスイッチというかきっかけというか、私脳内が拡張されるキーとなる言葉や文字とかそういうものが多くてそれが相手方から矢継ぎ早に飛んでくる。するともうダメ。相手の話の本筋からどんどん横道にそれたり、勝手に相手の話の目的地を予想して先回りして答えを考えたり、さっきなんと言っていたか復唱したり、ダジャレ、有名人、語尾、韻を踏んだり、と多岐にわたり会話の成立を邪魔する。結果、全然違うことを言ったり、考えすぎて喋らなくなったりして人を不快にしている。そして、一番質が悪いのは、私の脳内で会話が弾んでいるときは相手の話に即応答出来ないことだ。つまり端から見ると無視をしているのだ。

「あいうてと」という話を相手がしたいとして(「あいう」をフリにして「えお」の落ちが「てと」になったような話)、「あ」の部分ではまだ話の全容がわからないので話を聞く姿勢をするのだが、「あ」の次が「い」になった時点でおやおや?状態になる。「あ」の次「い」なの?もしかして次「う」じゃないの?と予想を立てる。
そして「う」の話が出た瞬間にほらな!となる。そこからは心ここにあらず、自分の脳内との会話になっていく。相手の話の合いの手も疎かに、「あいう」ってことはあとは「えお」か。と即時に脳内電卓バチバチ叩いて答えを決めつける。となると相手の大オチは「お」やから「お」に合う相づちを用意する。この場合「おなら」がもっともいい相づちだとして、準備万端遠足前日枕元リュックよろしく状態で「おなら」を用意する。相手の「お」の話の終わりのタイミング(本当は「あいうてと」の「と」のタイミング)で(本来の「あいうてと」の「と」に対するもっともいい相づちは「ともだち」なのに)「おなら」と言う。場が止まる。私も含めて全員の頭にクエスチョンマークがポン!と現れる。


私の友達は今思えば寛容でこんな私のことを何でも面白がってくれるいい変態たちだった。
太陽の小町を組んでからはネタ合わせの度に会話の線路がどんどん逸れていき、考えているときには返事をせず、関係がどんどん悪くなっていき、いがみ合いにらみ合い領地の取り合いになる。その結果が前代未聞の「返事をする」か「解散」という二択を迫られることになるのである。

いやはやまことにこんなに付き合いづらい人間もいるもんなんだね。


サポートしてほしくない訳じゃない。サポートしてもらって素直にありがとうございますと言えないダメな人間なのです。