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パズルの街

いつもと同じ駐車場から遠くの空を眺めたとき、いつものように机に向かって窓の空景色を見るとき、三階のベランダから雲の流れに視線を委ねるとき。
特別じゃない瞬間に、ふっと、「……、違ってる」と感じるときがある。
昨日と同じに見えても、まるごと違う。
そういう感覚。

そりゃあ、日々、昨日と何もかも同じわけではないし、瞬間瞬間が変化しているわけで、その連続線上に今があって。

私が感じる「違ってる」は、そういう変化の連続線上の「違う」ではなく、舞台がまるごと違った感じ。建物も部屋も、目に映ってる景色は同じなのに。それが、やけに瞬間はっきりした感覚で「あ、違う」と来る。

感覚があって思うものは否定することないので、

 ああ、違うのかもしれないな。
 証拠はなくても違うのだろう。

と、自分の感覚に納得しておく。
もしかしたら、パラレルが変わったのかもしれないし、と。

「違う」という感覚があって、「あれ、違う」と思うようになったのは、ここ数年のこと。
以前は、感覚ではなく、瞬間瞬間が違っていくという世界観を頭の中でイメージして見ていた。感じるところもあったかもしれない。けれど、自分が感じていることへの意識がぼんやりしていて、曖昧でも気にしなかった。

ここ数年のふとした瞬間に感じる「あ、違う」は、瞬間移動的な感覚。以前の頭の発想から来る「刻々とした変化」を眺めるのとは違う。
「刻々とした変化」はピースの組み合わせの変化。
瞬間移動的な「あ、違う」は、パズル版そのものが交換した感覚。
私自身が微妙に変わって、映した世界が変わるような感じがして、「感覚的に、少し進化したかな」という思い込み世界に生きている。


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 昨日と同じ風景で、 同じ景色が映ろうと、
 街のパズルは、一つひとつのピースが微妙に変わり、
 置かれる場所さえ違っているのだよ。

 昨日と同じ風景で、同じ景色が映っていようと、
 ひとり一人のピースは、 何かしら変化して世界を象る。

 瞬間に、瞬間に。


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