20210421【119】18歳、冬、鈍行で長野へ行く!(後編)

こんにちは!ioriです。昨日の後編をお送りします。

鈍行列車で長い乗車時間を終え、日が暮れ切ったころに長野県白馬村に到着しました。

僕たちが働くレストランに2階が従業員の宿泊フロアとのことでオーナーさんの車で移動することしばし・・・

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こんな感じのところでした。案内された2階に行き、先に来ていた方々にご挨拶を済ませ、友人と宿泊する部屋に行きました。この生活の3週間には登場人物が数名いますので紹介します。

①オーナー夫婦(50代半ばの優しそうなおふたり)②雇われのコック長③雇われの二番手さん④オーナーさんの娘(僕たちと同年代?)⑤ほかの地方からリゾートバイトで来ていた女子大生3人⑥オーナーさんの息子(シェフ修行中)

ゲレンデのレストランは、上の画像にもある通りお客さんが食券を買い、おぼんをを持って並び順番に渡していく、学食みたいなスタイル。

メニューはカレー、ミートスパゲッティ、おでん、アメリカンドッグ、フランクフルト、ハンバーグぐらいとあとは、ソフトドリンク、ビールがあったぐらいかな?

僕の担当は、ミートスパゲッティでした。開店前に厨房に入り大きな鍋で麺を茹で、ホットウォーマーに保温状態で入れ、大きいフライパンでひき肉を大量に炒め、業務用のミートソースと混ぜ合わせ、これもホットウォーマーにて保温し、ミートスパゲッティの食券をもらったらお皿に麺を入れ、ミートソースをかけ、粉パセリ、粉チーズをふりかけて出来上がり!至って簡単な調理でした。この時点で不思議に思ったのが?料理長の必要性です。僕と友人と、女子大生3人がお客さんの列に対応し、食券を貰い用意する。今は、どうだかわかりませんが?ゲレンデの広さに対して食事を出来るところが少なかったように思えます。だからお昼時は、かなりの繁盛な感じでした。料理長さんと二番手さんは、足りなくなったスパゲッティの麺、ご飯、カレールゥの補充係やったと思います。

そんな感じで17時ぐらいには、お店は終わっていたのでその後は自由時間!部屋に帰ればテレビもあるし、共同ですが大きなお風呂もあり、洗濯機もあり、しかもお店の食べ物や飲み物は自身でやる分には~放題でした。

一応、所持金は財布に1万円用意していましたが、「これ?お金使わんな?」でした。

ゲレンデレストランでの勤務が1日7時間ぐらい、休みは基本的にこちらから申し出をしない限り、なし!今なら考えにくいですが?18歳!体力があり余っていたので3週間無休で働きました。

となると?仕事が終わる17時以降の時間の使い方に困りましたが?オーナーさんが「うちで働いてるって?言ってくれたら?リフト乗り放題無料やし、せっかくスキー場に来たんやからスキーの練習したら」

ホントに寛大というか?至るところまで優しいオーナーさんでした。

それからの僕のスケジュールは

毎朝8時起床、9時から17時までレストラン勤務、片付けが終わり次第スキーの練習、宿泊所に帰り食事、お風呂、洗濯、就寝となりました。毎日同じことの繰り返しでしたが、スキーを滑れるようになりたかったのでなに一つの不満は、ありませんでした。ただ、唯一の僕のミスは、スキーウェアを持参しなかったことでした。レンタル用のウェアもありましたが、余計な出費を防ぐことと、デザインが気に入らなかったので?連日私服で滑っていました。上達した頃になると?「ゲレンデに毎日夕方に現れる私服のスキー少年!」とちょっとした有名人にまでなりました。

というか?毎日滑ってたら上達は当たり前でいろんなターンまで出来ている状態まで行きました。また日が暮れてからのゲレンデは、何となく幻想的で非日常すら感じていました。

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また、レストランでの勤務中、自由時間についても一番年下だったこともあり、オーナーさん、女子大生3人からは可愛がられたと記憶しています。ただ、残念ながら一緒に長野に来た僕の友人は、親族に不幸があったため1週間ほどで帰京しました。

みんなからチヤホヤされる僕をいいように思ってなかったのが?料理長と二番手さんでした。今考えれば大人の嫉妬、妬みってあまり気持ちのよいものでは、ないですが?当時の僕は、全く動じることなくふるまっていたと思います。

たまにオーナーさんの自宅にも招待されシェフ修行中の息子さんの料理を食べながらみなさんと楽しい時間も過ごしました。そのあたりから、オーナーさんの娘さんとの距離が急接近し始め、僕が好意を持つまで時間は、かかりませんでした。

この段階で気が付いた!というか?気にもしていませんでしたが?「日給って?いくらなんやろ?聞いてなかったな?」でも今更聞けないし、毎日楽しいからいいか?と何とも楽観的な!

ちなみに当時は、当然ネットも携帯もありませんでした。僕の当時のコミュニケーションツールは、「ポケベル」です。

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夜な夜なこれで娘さんと連絡とっていたな・・・感覚としては友達以上恋人未満。この言葉当時、よく流行りました。

それから数日経過、数日経過とともに帰京のタイミングが近づいてきた。そんなとある日にアイドルタイムにレストランに来たオーナーさんから「話があるとのことでした。」

内容は、まず高校卒業後の進路予定を聞かれました。「いえ、何も決まっていません。」「そしたら、うちで就職してくれへんか?」

エッ?

エッ?

エッ?

「うちは、息子がシェフになりたいと言ってるから将来の継手がいなくて困っている」「是非、iori君に来てほしい!」「娘と恋仲というのも知ってるし、何なら・・・」

「何なら」の言葉が頭から全然離れない!

今までにもnoteでいろんな体験談を書いてきましたが、どうやら定期的に腰を抜かしそうなハプニングに出くわす星の下に生まれたようだ!

唐突過ぎてすぐに返事が出来ませんでしたが、たしかその場でお断りをしました。

オーナー令嬢と結婚、2代目オーナー、それ以外にも明るい未来が見える要素はたくさんありましたが、弱冠18歳・・・

まだまだ世間を知らない僕がそれまで育った生家を離れることにどうしても難色しか示せなかったというのが一番の理由です。あの時、就職していたら?今こうしてnoteもしていなかったかもしれませんね。

オーナーさんは、気持ちよく承諾してくださいました。

そして迎えた最終勤務日の後、オーナーと面談し、それまでの日当をまとめて頂いた。

勤務日数21日×日給10000円=210,000円!!!!!!!!!(ちなみにこの時は平成元年でした)

高校生のもらう金額にしては、破格でしたが有り難くいただきました。たしかに自由時間は、楽しかったけど仕事は、割かし重労働だったかも。

翌朝、オーナーさんのJEEPでJR松本市駅まで送ってもらい、ホームで娘さんとお別れをしました。この時娘さんは、泣いていました。こういうシーンで女性が目の前で涙を流している・・・とりあえずハンカチを渡して「今度会う時に返して!」と究極のくっさい芝居をし「バイバイ!またな!」と告げ電車に乗りました。

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本当にお世話になったあの温かいご家族・・・また会いたいな!

今日は、ここまで!


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