『妬み』は道具。私が森永卓郎を妬まない理由

妬み、嫉妬心は自分が何に情熱を抱いているかを知るための道具だ。
「私ならもっと上手く教えることができる」というとき、
「なんで、あの人は成功して、私はできないのだ」というとき
そのような妬みを周りも同じように抱いているか。
おそらく、そんな妬みを抱いているのはあなたぐらいだ。

妬みは、あなたの価値観や、美意識の表れだ。
例えば、わたしは、「大した話をしてないのに、ちやほやされる人」や
「面白くもない漫画」がバズっていたり、「薄っぺらい歌詞」のうたがブレイクすると、妬みの心が起こる。
「話や言葉の深さ」や「メッセージ」「創作」に思い価値感を抱いているからだ。
ちなみに、こういう人たちがしくじるとホッとするし、ざまあみろと蔑むのも、
そうすることで、自己評価を上げようとする自己肯定感の低さの現れだ。


ピアニストは料理を上手く作れる人を嫉妬しない。
むしろ、年下で自分よりピアノが上手い人を妬む。
誰を妬んでいるか、ではない。何を妬んでいるかが大切なのだ。
「私が欲しいと思っているもの」
「手に入れられないものををあいつが持っていることがゆるせないのだ。
誰のもつ、どんな特性を妬んでいるか。
逆に、自分が価値を見出せないものは、まるで蚊帳の外。
増えようが、減ろうが、関係ない。


世の中には、変わった収集癖の人がいる。
経済コラムニストの森永卓郎さんはミニカーを13万個持っているそうだが、
少しも羨ましくない。本当に羨ましくない。
「キー!私は一つも持ってないのに!」などと
ハンカチを噛み締めることもない。
私は、ミニカーに対しほんの少しの価値も見出せないからだ。


同じように、お金持ちを羨ましい、と思うのは、あなたがお金を
「価値あるもの」と見做しているからだ。
逆に、自分が誰の、どんな部分を妬んでいるかを知ることで、
自分が何に価値観を置いているかを知ることができる。

あなたの妬みの感情は、あなたのオリジナリティーの反映であり、
「傷の痛み」のように番人が似通った共通の感覚ではない。

妬みがわかれば、自分の延ばしていける個性がわかる。
せっかくの感情を、蔑みなんて行為で、消費すべきではない。

あなたは「何を妬んでいるか」を書き出してみよう。
そして、妬んでる人自体を見るのではなく、自分の感情、
すなわち妬みをいう外皮を一枚一枚、丁寧に剥がしていくことで、
見つかる『価値観』を言葉に出してみよう。

妬みを引き出すツールはこちら。
https://note.com/iori_christian/n/n661e41d1060b

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