引き出し合うことで分かること。

私たち家族は今、とあるアパートに住んでいる。
二階建ての小さなアパートに部屋は6つ、全部埋まってる。

私たちは家族三人で暮らしているが、
男性一人で住む人もいれば、外国人家族もいる。
入れ替わり立ち替わりで、アジトみたいに使っている人もいる。
全身刺青(和テイスト)の入った方も住んでる人もいらっしゃる。何年か前、住人から逮捕者もでた。そんな話題にこと欠かないユニークな住まいだ。

うん、越したい。

さて、

住民同士、挨拶はするが、お互い部屋に呼び入れるほど深い付き合いではない。
だから私は、彼らが部屋をどんな風に使っているか、ほとんど知らない。
外観から、似通った間取りであることは想像つくが、
部屋の内部は、私たちのそれとまったく違うのだろうと想像する。

家具の種類やベッドの置き場は当然違う。
私たちがリビングと使っている部屋を寝室として使ってるかもしれない。
トイレは最新のウォシュレットかもしれない。
いや…、待てよ。和室は爬虫類を飼うためだけのスペースにあてているかもしれない。下手したら風呂はシンクで済ませて、浴槽でアロワナを泳がせている可能性もある。

いや、ない。ないんだろう。でも、確認はしたことないから言い切れない。
おおまかには同じかもしれない。でも、うちとぴったり同じでないことは明白だ。

それぞれの住む、それぞれの部屋…。
すこし違うか、だいぶ違うか、限りなく違うか、
ドアをあけて、もしくは窓を割って、入ってみるまでわからない。

それと同じように、
私たちの頭の中も、一人一人も全く違う。

全くノーマルだと思っていた人の、アブノーマルな一面を垣間見てギョッとする。窓辺で花を愛でる可憐なあの子は、毎夜ヘビメタのライブ会場の最前列でヘッドバンキングをしているかもしれない。

多分、この文章を読んで、
私の頭の中と、あなたの思考回路が限りなく違うことは
すでにお察しであろう。

(私のことを1番知っているはずの妻は、
私の頭の中を「宇宙だ」と言っていることをここに付け加えておく。)

違うこと自体、問題ではない。それは、カタチの違いなのだ。
違っているのに、同じだろうという前提になって話すから、摩擦が生まれる。
相手の意図が理解できず、同意が得られないことに憤慨したり、悲しんだりする。相手の価値観を否定したり、自分の価値観を押し付けてしまったりする。

だから、大切なのは
お互いの引き出しを出し合うこと。

そうすることで、自分が標準でないことがわかる。
「だって、普通そうでしょ」と思うことほど、人間関係を拗らせる。

デンマークでは肛門に体温計を入れて測るらしい。それが普通だ。
アメリカでは咥内で測るのが一般的だ。日本だと脇の下、そういうもんだ。
そういうバックグラウンドを知ることは大切だ。

それをしないままままに
「体温計の貸し借りは是か非か」について論じ合っても、
白熱はするだろうが、白熱するだけで、なにも生まれない。

だから、大切なのは
お互いの引き出しを出し合うこと。

このブログは、それを手伝うためのもの。

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