自己分析は1人ではできない
タイトルの通りで、ネットでも、本でも、性格診断使って自己分析してもあんま上手くはいかないよという話。
自己確証バイアス、というのが関係している。
あー、またその話ねと思うかもしれないが、またその話だ。
なんでまたその話かというと、重要な話だから。あなたが思うより、ずっと。
カウンセラーなんかと対面してやるものを除いて、世にある自己分析ってのは、全部一方通行だ。つまり、セルフチェック、セルフ採点の自己完結型。
例えば「あなたは控えめな性格である」という質問があって、
あなたが「そうだ」お思っていれば、
「あてはまる」にまるをつける。
ざっくりいえば、自己完結型の自己分析は、この作業だけ、
「ああ、自分は控えめなんだなあ」という確信を強めて、終わりなのだ。
実際には、もう少しプロセスがある。
診断するサイトであれば、このような質問がいくつも連なり、
全ての質問に答えて、診断する、をクリック。
やがて、結果の画面にとぶ。あなたはそれをまじまじと見つめる。
「ああ、こんな性格なんだ!知らなかったなぁ…」となることは、
…まずない。
あなたは診断結果の項目を一つづつ追いながら
「ああ、この部分はあってるな」「ここは少し違うな」とか、
分析結果の微調整を始めるからだ。
こうして、脳内には、あなたの手心の加えられ、あなたが思う通りに補間された「あなたの性格」のイメージが納品され、あなたは満足するのだ。
さて、あなたはこの診断によって自分自身を客観的に分析できたか。
いや、かえって、あなたが「イメージしていた自分」を肉付けられたに過ぎない。
これではあんまり意味がない。いみがない所か、害悪でさえある。
だから、サイト側も申し訳程度に「これはあくまで参考です、鵜呑みにしないでください」とそっと注意喚起する。
つまり、自己完結の自己分析は、
すでにあなたの中にある自己イメージの受肉であり、分析ではない。
あなたは、自分を分析したのではなく、
かえって自分の確信に基づいて情報を集めた、確信したに過ぎない。
これが、確証バイアスの呪縛であり、自己完結型の自己分析の盲点である。
では、どこに問題があったのか。
それは、「ツッコミ」役の不在である。
先程の「あなたは控えめな性格である」という質問に戻ろう。
もし、この質問をサンシャイン池崎が「よく当てはまる」にまるをうっていたらどうだろう。
「いやいや、そんなはずはない」というツッコミが入るはずだ。
このツッコミ、つまり、他者から見た「イメージ」とのギャップこそ
自己分析に重要な役割なのだ。
「いやぁ、テレビではこんなふうにしてるけど、オフではあまりガンガンいくたいぷじゃなくて」をサンシャイン池崎は言うかもしれない。
しかし「いや、こないだ、会議で結構発言してたじゃん!俺、それ見てすげーなて思ったし、控えめってあんなに発言しないよ、やや控えめくらいじゃない?」「そうかなぁ?」
実際、サンシャイン池崎さんがどういう人間かは知らないけど、
そういう対話を繰り返すことによってこそ、自分という人間をただしく知れていけるんだと思う。
これをしない自己分析など、
検査員のいない製品工場のラインだ。自分で作ったものを、自分でしかチェックしないのでエラー品だだ流しである。
つまり、「自分が思う自分」と、「人から見た自分」(人の中にいる自分)、
二つのライトを照らすことで、
自分の思い込みの世界からは確認できない、自分という形が見えてくる。
詳しくはジョハリの窓の説明に譲ります。
そういうことで、ぜひ、
私が作った自己分析のツールをお役立てください。
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