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Aro/Ace自認から10年越しにカミングアウトした話:前編-自認について

はじめまして。庵と申します。

「雑誌アセクシャルアンソロ」企画に乗らせていただき、記事を書いてみます。長い記事なので、「前編-自認について」と「後編-カミングアウト」の2つに分けました。

この記事は前編です。↓あたりのテーマに掠っていると思います(テーマ一覧から引用させていただきました)。良ければお付き合いください。

  • <体験談>自認に至ったタイミングやキッカケ

  • 自認してからはじめたこと/やめたこと

  • 自認前後で変わったこと

  • 婚活/マッチングアプリ 体験談

はじめに:自己紹介

本題に入る前に、ざっくり自己紹介します。

女性として生まれ、記事の執筆時点ではアラサー。性的指向は、アロマンティック/アセクシャル(Aro/Ace)です。子どもの頃から、男女どちらに対しても恋愛感情も性的惹かれもほぼ感じません。昔からオタクですが、二次元にも「ときめき」を覚えたことはありません。

「自分はAro/Aceかもしれない」と自認してから、親しい人にカミングアウトするまでに、約10年ほど黙って過ごしました。前編では、自認からカミングアウト直前までの約10年間についてまとめてみます。長過ぎる記事ですが、誰かの参考になれば幸いです。

この10年間でLGBTQやSOGIの概念が深まり、用語も変わってきました。この記事では10年分の話をするので、当時の用語を使った結果、用語の使い方がちょっと混乱しています。あくまで過去の話としてお読みください。
また、筆者と登場人物の個人特定を避けるため、体験談にはフェイクやぼかしを入れています。大雑把に読んでもらえたらと思います。

それでは、本題に入ります。

10年と少し前:「性的マイノリティ」を知る

「性的マイノリティ(LGBTQ)」という概念を知ったのは、高校生のときでした。

当時の私は、ネットで二次創作にどっぷり浸かっていた生粋のオタク。当時好きだったジャンルがたまたまクィアな界隈に近く、LGBTQ当事者の作家さんが活動しているのを見かけました。そこから「性的マイノリティ」の情報にたどり着き、芋づる式にさまざまな性的指向と性自認の概念を知りました。2010年代、今よりも情報が少ない頃で、本当に運が良かったと思います。

調べるにつれて、具体的にどの属性かまで確信はなかったけれど、とにかく自分がシスジェンダー/ヘテロセクシャルではないことを自覚しました。幼少期から感じていた違和感に、「性的マイノリティ」の言葉で説明が付いた気がしたからです。


幼少期の私は、男女問わず友達ができる環境にいました。男子の友達の方が多かったかもしれません。
男子も女子も仲のいい友達なのに、男子だとなぜか「小さな恋のメロディだねえ」と大人から囃し立てられたり、バレンタインにはチョコを渡せと騒がれたり。からかいに苛立ちも覚えつつ、「男女とは、恋とはそういうものだ」と、違和感と共に概念だけをぼんやり学んでいました。

記憶に残っていることがあります。バレンタイン直前、私がチョコを渡そうとしている仲良しの男子に、その子を好きな女子がいると話題になりました。そのとき私が思ったことと言えば。

「あっ、じゃあ私は渡さない方がいいな。バレンタインデー頑張ってね!」

私までチョコを渡したら二人の恋を邪魔しますからね。私は簡単に諦め、嫉妬も何も感じませんでした。チョコを渡せと囃し立てられるから渡すだけで、私自身はその男子に特別な感情がありませんでした。

理解はするけど、自分の中にはない。ずっとそれが、私にとっての「恋」でした。


仲が良かった男子たちは、思春期に近づくにつれて一緒に遊べなくなりました。おませな女子たちの仲間には入れず、中学~高校はオタク仲間に染まって過ごしました。男女混合でもほぼ何も起こらない、恋愛と言えば二次元の中だけの環境で、今思うと恵まれていましたね…。

それでも同級生が言う、「好きな人いないの?」「○○と仲いいけど付き合ってるの?」。周囲の大人が言う「あんた学校で好きな人いないの?」「今話に出てきた男子のことは好きなの?」。急に聞かれるたびに感じる居心地の悪さ。
「いつか現れるよ」と言われた「好きな人」は、思春期を迎えても現れず、自分にとっての「恋」はいつまでも、見て楽しむだけの二次元の概念。
長くなるので割愛しますが、そのほかにもいろいろあった周囲とのずれ。


それらの経験が全部、「そもそも私、シスジェンダー/ヘテロセクシャルじゃないのでは?」と考えると、だいたい説明できてしまったんですね。このときから、「自分は多分、何らかの性的マイノリティ」という前提で物事を考えるようになりました。

10年前:「無性愛(アセクシャル)」について調べる

「無性愛」について、初めてきちんとネットで検索したのが、ちょうどほぼ10年前です。当時はまだ「Aro/Ace」という表記がなく、「無性愛(アセクシャル)」と書かれていたと思います。

大学生になり、男性からはっきりと好意を寄せられる機会ができたことがきっかけでした。そのたびに、友人としてどれだけ大切な相手でも、恋愛的な好意を向けられるとひどい拒否反応が出ることを思い知りました。

そのうちの一人は、幼少期に私と一緒に遊んでくれた男子でした。どうも昔から私に好意を向けてくれていて、幼い私が軽率に「私も好きだよ(※深く考えていない)」と返してしまったのを覚えていてくれたよう。私はまったく彼の気持ちに答えられず、数年越しに友人関係をこじらせて、疎遠になってしまいました。

私はこの、「男性を異性として扱えないために軽率に距離を詰め過ぎ、誤解させる」ミスを、何度かやらかしています。別にモテる人間ではないのですが、近しい男性に対して「こいつ脈アリか!?」と思わせる一線を私から超えてしまう。そのくせ私自身はまったく無自覚で、好意を向けられると凍り付く。そんなつもりないのにやんわりお付き合いを断られて、びっくりしたりもする。
一方で、女性に魅力を感じるわけでもありませんでした。相変わらず男女両方の友人がいるのに。

何かがおかしい。友人だった人にデートに誘われ、楽しむどころかボロボロの心境で帰って来た日に、以前見た言葉が頭をよぎって、ネットで検索し直しました。「無性愛」。
ひと通り調べて体験談を読み、自分はこの「無性愛」かもしれない、と思うようになりました。「いつ自認したか?」と聞かれるなら、学生時代のこのタイミングです。

「無性愛」を自認して考えたこと

性的マイノリティであること、特に無性愛を自認して、10代の私が抱いたのは、ネガティブな感情でした。大きく分けると2つの気持ちです。


1つ。自分はこの先、ずっと一人で生きて行かなければならないのだという、絶望感と決意。

異性と恋やセックスができない自分は将来、周囲の大人や先輩たちがしているような、「普通の」恋愛・結婚・子育ての人生は歩めないと思いました。

一生を一人で過ごすなら、一人で生きていく力が必要です。一人で生きていく力って何だろう?経済力。学力。家事炊事などの自活力…いろいろ。社会に出るまでに、それらをすべて身に着けなきゃならない。人一倍努力が必要だと考えました。今思うと思い詰めていますね。
幸い、大学に通わせてもらえていたことで、できる限り努力する時間の猶予がありました。
そして、このまま地元・親元で暮らしていくのが難しいことも悟りました。田舎の方だったので、マイノリティであることを隠して独身で生きるには大変な地域でした。就職を機に地元を離れることを決めました。


そして2つめ。誰かの好意に応えられない申し訳なさ、誰とも愛し合えない寂しさ。

どうして私は、せっかく向けてもらった好意に、いつも恐怖と気持ち悪さでしか向き合えないのだろう。

恋愛感情がない癖に、一丁前に人と愛し合いたい気持ちや、恋に応えたい願望はあったんですよね。あるいは、幼少期から男女問わず友達になってくれる人がいたことで、「ずっと仲良しでいたい」「特別な友達でいたい」という強い絆への憧れが強かったのかもしれません。
結果的に自分が振る形になってしまった男友達のことを考え、疎遠になったことが悲しくて、「私が弄んで裏切ったのでは?」「大切な友人を傷つけたのでは?」と感じてしまいました。この辺りから、「無性愛」であることを後ろめたく思うようになった気がします。


どちらの感情も、当時の私にとって人に相談できないことでした。家族や友人に内緒で、「一人で生きていく準備」を始めました。当時、こんな人間は周囲で自分だけだと思っていたので。

社会に出てからの数年間

就活時に、あえて実家から通えない就職先を探しました。さまざまな偶然が重なって、大学卒業後は上京して就職することになりました。
勝手に上京を決めたので、家族にとっては寝耳に水だったはずです。今思うとひどい。

家族も友人も周囲にいない場所で働き始めました。
最初の数年は仕事のトラブルが多く、心身の調子を崩したこともありますが、「自分は地元には帰れない、帰らない」という根性(?)で無理に乗り越えました。
そして会社でも、「恋人はいないのか?」「結婚しないのか?」の質問を受けることがありました。適当な受け答えでやり過ごしながら、「やっぱり自分には無理だ」と内心で感じていました。社内の独身男性で誰がいいか聞かれたこともあり、「社内恋愛できないタイプで…」とごまかして、話題を振られないようにしていました。

このまま仕事を頑張って、誰にも自分のセクシャリティを明かさずに、一人で生きて行こうと思っていました。自分なりに、一人で生きていく力を磨いているつもりでした。

3年前:コロナ禍突入

そして社会人数年目で、環境が一変しました。コロナ禍突入です。
私の会社は、あっという間に出社禁止・完全在宅になりました。外出や帰省ができず、急に人との関わりが絶たれてしまいました。

強制的に「完全に一人」の状態になったことで、このときはじめて、自分が「完全に一人」には耐えられないことに気付かされました。

私はもともと、周囲に無断で上京を決めた上にホームシックになったこともないほど、単独行動が得意な人間です。単独行動で生きていく覚悟も私なりに決めていました。
しかしそれは、あくまで「社会が平和で、自分の心身が適度に健康で、行動が自由」という、条件付きでした。コロナ禍は私に、それらがすべて失われた「災害時」を見せてくれました。

自粛生活が続くと、孤独感が強まり、思考が閉塞的になり、じわじわと心身の健康を損ねていくのを感じました。コロナ禍当初、セクシャリティを問わず多くの方が感じたことだと思います。制限下の生活で、一人きりで協力者もなければ闘病さえままならないという危機感も得ました。

未来は予測ができないもので、常に自分の力だけで対処できるかはわからない。経済力や自活能力は、天災がもたらす孤独感や危機感の前では無力。
矛盾するようですが、「本当に一人で生きていくには、ある程度他者とのつながりがあった方がいいのでは?」と考えるようになりました。

2年と少し前:つながりとマッチングアプリ

そこから方針転換し、コロナ禍に慣れ始めた頃から、人とのつながりを作ることを検討し始めました。協力し合える誰かを求め、外出できないのでまずはオンラインでと考え…………

…………マッチングアプリにたどり着きました。社会人になってから人と親睦を深める手段って、一般的には恋とセックスしかないんですよね。

恋愛しか手段がないなら、逆に挑戦するしかないんじゃ?本当にできないのかやれるだけやってみては?
学生の頃あれだけ失敗したくせに、手段がマッチングアプリしかなかったのでそう考えてしまいました。「無性愛」に後ろめたさを感じていたことで、心のどこかに「頑張れば恋愛できるんじゃないか」という気持ちもあったんだと思います。

やると決めたら片っ端からやってみようと、有名どころのマッチングアプリをいくつも試しました。メッセージを続け、何人かは通話したり会ったりもしました。

結果、どのマッチングアプリでもダメでした。
男性とやり取りを重ねても、「好みの顔」や「ときめき」の概念、性的欲求がどうしても抱けませんでした。だんだんと何をしているのかわからなくなっていきました。
また、プロフィールに自分のセクシャリティを書く勇気がありませんでした。親しい相手だって誰にもカミングアウトしていないのに、見知らぬストレート男性に打ち明けるのは無理。本心を話さないのに良い関係を築けるわけないですよね。

同性ならどうか?と、レズビアン向けのアプリにも登録しました。同性に対しても、恋愛感情も性的欲求もないのを改めて自覚しました。同性だろうと異性だろうと、恋やセックスが上手くいかないのは変わらない。

だったら同じ「無性愛」の人と会いたい。でもどこで会えるのか?探す方法がわからないまま、2年ほどだらだらとマッチングアプリを続けていました。
このときはまだ、無性愛者のコミュニティを探すことは思いつきませんでした。探せないと思い込んでいたからです。私が最初に「無性愛」について調べた当時は、「無性愛者は人口が少なく、交流場所もない」イメージで、知識をアップデートできていなかったのだと思います。

2023年に入って

そして、マッチングアプリにも行き詰っていた今年の正月。帰省した折に、家族からついにお叱りを受けました。

「いつまでも親類縁者が生きていると思うなよ」

私が10年カミングアウトせず、しかも勝手に上京した結果、事情が分からない地元の親族には「なんか一人で飛び出して孤独死まっしぐらの心配な奴」と不安に思われていたようです。

自分でも驚くくらい傷つきました。立場を理解してもらえないことにではなく、私なりの熟慮と努力が無に帰していることに。そして、このお叱りが100%善意と心配からくるものであることに。家族を裏切っているような罪悪感も覚えました。
でも、このときは何も言えませんでした。まだ、「それでもカミングアウトはすまい」と思っていました。

悔しさ、徒労感、怒り、さまざまな感情でぐったりしていたところへ、ちょうど異性愛者の知人から、タイミング悪く無邪気に恋愛の話を振られてしまいました。その人に悪意がなくても、私がどう努力しても乗り越えられないセクシャリティの壁を、軽々乗り越えているところを見せつけられるようでした。
感情のやり場をなくして体調を崩し、何を食べても吐く日が数日続き、いよいよ「これ以上孤立して思考が閉塞しているとマジでやばい」と思いました。いろいろなストレスが積み重なってさすがに限界。

ほかの無性愛者の人はどうしてるんだろう!?どうにかしてほかの無性愛者の方とお話しできないか!?

慌てて無性愛者の交流会やコミュニティを探し直し、ここ数年で「Aro/Ace」の集まりがずっと増えていることに気づき、目が覚めました。「友情結婚」「同性パートナー」などのキーワードで、一緒に生きていくパートナーを探している人たちが少なからずいることも知りました。

自認から10年経ってようやく、交流会に足を踏み入れました。生まれて初めて、自分がAro/Aceであることを人に打ち明けて話ができました。自分が今まで言ってはいけないと思っていたこと、人と違うと思っていたことが、全部「異常」ではない空間を、初めて知りました。
誰ともつながれないと思っていた属性で、人とつながりを持てること。コミュニティに接続できることを、ようやく知りました。人口の0.8%が、「0」ではなかったことを、実際に目の前にいるAro/Aceの方を通じてやっと理解しました。

自分の意識が刷新され、視界が大きく開けた気がしました。

前編のおわりに

というわけで、「前編-自認について」はおしまいです。長々と失礼しました。まだ時間があれば、後編もよろしくお願いします。

ついでに、自認やマッチングアプリについて、私がお話しできそうなことをつらつらと書いてみます。

  • 自認が早くて良かったこと/悪かったこと

  • なぜAro/Aceになったのか?

  • パートナーやコミュニティって必要?

  • マッチングアプリってAro/Aceでも使える?


おまけ①:自認が早くて良かったこと/悪かったこと

Aro/Aceの界隈で、時折「もっと早く自認できればよかった」という話を聞きます。その点、10代で自認した私は早い方だと思います。自認が早くて良かったことと悪かったことを、私なりに考えてみます。

良かったこと:Aro/Aceであることを前提に、自分の人生を考えられた。勉強する時間をたくさん持てた。

社会に出る前に自認したことで、就職先や居住地、目ざす生き方を、Aro/Aceであることを前提に組み立てられました。当時は思い詰めた形でしたが、総合的に見て、これはとてもプラスになったと思います。
上京したのは成り行きですが、良い選択だったと思っています。東京のLGBTQコミュニティにアクセスしやすくなったことで、視野が広がりました。また、人が多すぎるので「隣に誰が住んでいても誰も気にしない」環境にも救われました。

性的マイノリティについて、意識的に調べる時間が人より長かったことも良かったと思います。世の中にはさまざまな属性の方がいることを想像できるようになりました。


悪かったこと:一人で悩む期間が長かった。不要な罪悪感を育ててしまった。

私の場合、自認後に誰にも相談しないことを選んだので、10年ほど一人で悩む期間を過ごしました。このことで、周囲を「騙している」「裏切っている」ような意識、後ろめたいことをしている罪悪感を育ててしまった気がします。つい最近まで、Aro/Aceであることを過剰にネガティブに捉えがちでした。
これは私の置かれた環境と自認した時代のせいで、社会の理解が広がったり、周囲にオープンな人がいたりすれば、もっと気持ちが楽だったかもしれません。社会が変わっていってくれるといいですね…!


おまけ②:なぜAro/Aceになったのか?

ときどき出てくる疑問ではないでしょうか。私の場合、わかりません。個人的には、生育歴や経験はあまり関係ないと思っています。

私の場合、生まれてから今に至るまで、ずっと男女半々の環境にいます。その間、幸いなことに性被害の経験はまったくありません。自分のことでなければ恋やセックスの話題も平気。恋愛嫌悪・性嫌悪・異性嫌悪がないAro/Aceです。人として尊敬したり愛したりできる人は何人もいましたが、恋だけができませんでした。
生育歴には正直若干問題があるのですが、同じ環境にいたほかの人はヘテロです。身近なところで、異性恐怖症を克服して恋愛結婚した人も知っています。恐怖・嫌悪の経験とセクシャリティは、必ずしも重ならないのではないかと考えています。


おまけ③:パートナーやコミュニティって必要?

こちらもよく聞く話題です。私は「一人で生きていく」から「パートナーまたはコミュニティを探す」に方針転換した人です。
自認してからの10年のうち、「一人で生きていく」が前半7年、「パートナーまたはコミュニティを探す」が後半3年くらいです。

どちらの立場にもそれぞれの考え方があり、どちらが良いと断じることはできません。各自最善の生き方ができること、そしてどんな生き方でも困らない社会になることが理想だと思います。
ただ、個人的には、完全に「一人で生きていく」場合、それが災害時を含めてどんな状況でも可能かは検討した方が良いと思っています。すべてを一人で乗り越えるなら、そのための手段が必要です。人生は長く、そしてコロナ禍のようなことが突然起こるので…。


おまけ④:マッチングアプリってAro/Aceでも使える?

パートナーを探す場合、探す手段の候補にマッチングアプリも挙がります。
私は上手く行きませんでしたが、それでも言えることがあるとするなら、「Aro/Aceの人が使うなら、登録者数が多いアプリが良い」と思います。
理由は2つあります。

  • 登録者数が多ければ多いほど、同じ目的で登録しているLGBTQの方や、理解があるストレートの方の数も増えます。

  • 大手のアプリには、LGBTQのコミュニティがあることがあります。

全体の人数が多いほどマイノリティ同士も出会いやすくなるのは、東京で交流が盛んなのと同じ理屈ですね。ごく一部ですが同性とマッチングできるアプリもあるので、同性を探すときはそちらへ。
余裕があるなら、複数のアプリに登録して比較してみるのが良さそうです。

ただ、どのアプリを使うにしても、人とメッセージを続ける根気や失礼な人に出会っても傷つかない強メンタルが必要なので、無理はしない方がいいと思います。

そしてこれは自戒と反省を込めて書きますが、アプリ登録時はセクシャリティをオープンにした方が良いです。
そうでないと自分の考えを素直に話せないし、何より、恋愛・性行為目的のストレートの方を無断で巻き込むのは相手に不誠実でもあります。私が登録していた頃、「アセクシャルお断り」の方を見かけたこともありました。過去にトラブルがあったんでしょうね…。
とはいえ今は「LIKE」のような友情結婚向けアプリも登場したので、いちばん良いのはそこを使うことかもしれません。


前編はこれで本当におしまいです。よければ後編もよろしくお願いします!

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