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嘘コラム(10代のキミへ)

ラッパー  LLクールいおん さん

子供の頃はマイペースな子でしたね。
周りの子供が鬼ごっこで遊んでても砂場で一人で遊んでいるような子でした。遊び方にも拘りを持っていて、例えば他の子が仲間に入れてなんて砂場に来ても、僕はやれここにトンネルを掘れだの、ここはお城じゃなくてお山にするんだなんてわがままに命令するので、結局喧嘩になってしまうこともしばしば。
自分の作っているものに他人の手が加わるのが嫌だったんですね。そんな自分勝手な性格に人見知りも加わって、中学校に上がるまで友達の少ない寂しい子でした。
 そんな寂しい状況が一変したのが中学校2年生の時。学校でラップが流行ったんです。
中学生になって、いわゆるクラスのイケてる子たちがこれまで聴いていたバラエティのテーマ曲やアニメソングを卒業して、ポップスを聴くようになった時期に、クラスのワル達がヒップホップを聴きだしたんです。それまでは1人での密かな楽しみだったヒップホップ。「オイ、お前もエミネム[注➀]を聴くのか?」なんて、普段なら怖気付いて話しかけることも出来ないような子達とヒップホップを通じて対等に話すことが出来るのが嬉しかった。そこからだんだんと仲間が出来て、みんなとうまくやっていける様になりました。
 仲間内でCDを貸し借りしあって聴き漁っていくうちに、自分たちもヒップホップをやってみようということになって、仲間4人でユニットを組んで曲を作るなんてこともするようになりました。とはいえ、中学生にかっこいいトラック[注➁]を作る力なんてなくて、作品自体は足踏みやポールペンで缶を叩く音にラップの真似事を合わせたチープなものでした。今となっては恥ずかしくて聴き返せない完成度のものですが、「仲間となら音楽が作れる」という気持ちになったのは嬉しかったですね。
 高校に入ってもヒップホップへの熱は冷めず、さらにヒップホップ漬けの生活になりました。休みの度に好きなラッパーのライブを観に行ったり、自分でも小さいイベントに出てみたり等をしていました。そんな生活の中で沢山の良い出会いに恵まれ、レコードを沢山持っていてトラックを作れるやつ、人を集めることが得意でイベントを企画することが好きなやつなんて仲間が集まって、高校を卒業して上京したすぐの頃に今の"stretch rimo 900 records"[注➂]の前身を立ち上げました。今ではすっかり人見知りもなくなって、自分の曲を制作する時には積極的に仲間の意見を取り入れるようにしています。
 中学生当時よく聴いていたZeebraさんの曲では「ヒップホップで成り上がった、自分の人生をヒップホップで変えた」というようなことが歌われていますが、砂遊び一つさえ仲間と出来なかった幼少期の頃を思い返すと、僕の場合は「ヒップホップで人生を変えた」というより「ヒップホップに人生を変え"られた"」という気がします。

➀アメリカのラッパー、1996年デビュー
➁ヒップホップの伴奏のこと
➂2014年設立 日本のヒップホップレーベル

えるえる・くーる・いおん
1998年大阪府高槻出身。
2014年より自身で仲間と設立した「stretch rimo 900 records」よりデビュー
家族や仲間への愛をストレートに歌った詞で中高生を中心としたリスナーの人気を博す。

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