見出し画像

Leandroを探して

19歳だか20歳だった時、毎週末会う変な友達がいた。スペイン人なのに流暢な関西弁を話す、やけにまっすぐなやつだった。

どうやって出会ったとか、その頃自分が何してたかとかそういったことは省く。そのあたりを細かく説明したところでとりわけ面白いこともない。その代わりにアイツのことを沢山書こうと思う。

アイツは混血で、名前はレアンドロといった。正式にはもう少し長い名前で、日本の姓にまるでピカソのフルネームのような長いミドルネームがついたものだった。

あまりに名前が長いので、本人ですらよく覚えていないのが面白かった。
そしてアイツにはスペインやアメリカ、中南米のどこか、そして日本と、とにかく沢山の血が混じっていた。

また、ややこしいのは血筋だけでなく、育ちもそうだった。

聞くところによると、彼は3歳からアマゾン川のほとりにあるジャングルの中に建てられたログハウスで、元米海軍の祖父に大切に育てられ、就学の折にアメリカへ引っ越した。その後中学の途中からだったかで日本に来て、そこからはずっと日本で暮らしているとのことらしい。

正直、ホントかよ!?と思ってしまう点もあった。

しかし、そうした疑いを晴らすように、祖父の形見(ドッグタグだか勲章だか何かは忘れた)を見せてきたり、「アメリカで虐められて悔しくて鍛えたんや!」と子供の腕2本分はあるたくましい上腕を自慢してきたりなどが面白かったので、本当かどうかはどうでもよかった。

とはいえ、同じ話を何度も聞いても整合性がきちんと取れていたので、全て本当のことだと今でも思っている。そして何よりアイツはいいやつだったし、ものすごくアホだった。良い意味でも、悪い意味でも嘘なんかつけないと思う。

嘘付きはアホだが、嘘を上手につけないやつはもっとアホだ。その点アイツは後者のアホで、とにかく馬鹿正直というか、素直というか、とにかく真っ直ぐなところがあった。

例えば、彼は関西の田舎からバンドをやる為に上京してきたのだが、上京時で既に借金がとんでもない額あった。借金がというより借りた金の使い方がアホだった。

音楽を始める為の初期投資として、PC含めてDAW関連の機材を一式揃えたのは良しとしよう。しかしアイツは他のメンバー用のギターやベース(フェンジャパとかだった気がする)まで揃えていた。

本人的にはいつどんなやつでもメンバーに出来るようにということで揃えたものらしいが、これには流石にちょっと引いた。PCもものは良いがどうやら電気屋に半分騙される形で割高で買ったものらしかった。

流石に気の毒に思って、本人をそれとなく嗜めたことがあった。しかしアイツは「音楽で売れたらすぐ返せるからええんやで!」と流暢な関西弁で笑うだけだった。アホだ。

それでもいいやつだから好きだった。同じアホでもその中には格や質がある。

アイツは西東京の端っこ、東京都を名乗っている癖にほとんど山奥といって差し支えない場所に住んでいた。

オレは当時練馬の辺りに住んでいたから、ほぼ毎週の様にアイツの家に通うのは交通費も嵩む為、それなりに大変だったが、それ以上にアイツと遊ぶのは面白かった。

いつの間にかメンバーにオレの友達(コイツは今でも仲良い、音楽をやっている)が一人加わって、三人でいつも遊んでいた。

そういえばある時、どうして折角上京してきたのにこんな山奥にアパートを借りたのか聞いたことがある。アイツはちょっと困った顔で「ボクは外国人だから役所に言われて23区には住めなかったんや…」と言っていた。

アイツは一緒に上京しようと約束していた仲間に半分裏切られる形で一人で上京してきた。毎週末はオレたちと遊ぶとはいえ、アイツも寂しかったんだろう。

オレたちといる以外の日はよく地域の外国人コミュニティに顔を出していた。コミュニティの誰かに影響されたのか、日本という国がいかに人種差別に無頓着か、日本という国が外国人にとっていかに住みにくい国なのかをオレたちによく喋ってきた。

また身内のパーティーに頻繁に参加していて、見ている分にはそれなりに楽しそうだった。しかしそういった交流も長くは続かなかった。

ある日いつものようにアイツの家に行くと、全身あざだらけの姿になったアイツがいた。どうしてなのか話を聞くと、詳しくは知らないが件のパーティーでケンカに巻き込まれたらしい。それきりアイツがコミュニティに参加することはなくなった。

夜になるとアイツが電話をかけてくることがあった。出てみると特に用件はなく、いつもくだらない話をして終わった。またある時は終始支離滅裂で、宇宙や神、愛についてなどどこかスピった話を繰り返し繰り返し聞かせてきた。恐らく何か良くないものを食ってたんだろうと今となっては思う。

アイツの悩みは、出自のことや、国籍のことなどが主で、何か言ってあげられることやしてやれることはなかった。その代わりにアイツの話をずっと聞いていた。

 いつも遊んでいる三人で、曲を作ろうとしていた。オレが連れてきた友達がDAWを弄ったり、ビートメイクをすることが出来たので、オレのギターをサンプリングしたビートを作り、アイツのラップや歌を載せる形で作っていった。

正直なんともいえない出来のものだったが、今でも一年に一回程度は思い出して聞くことがある。アイツの歌やラップも上手いというわけではないが、味がある。

そういえばラップの技術向上ということで、アイツがサイファーに参加したことがあった。結果とか感想は覚えていない。なんとなく覚えている。

他にアイツのことで覚えていることはなんだろうか。何をして遊んでいたとか、何を話していたとかはもう断片的にしか思い出せない。ただ三人でずっと笑ってたことは覚えている。楽しかったことは確かだ。楽しい交流は半年以上一年未満の期間続いた。

ある時、アイツと急に連絡が途絶え、毎週末の交流が終わった。後日送られてきたラインでは、実家でトラブルが起きて地元に帰るとのことだった。それからアイツとは連絡すら取れなくなった。

それから二、三年が経って、ロックバンドなるものを始めたオレは縁あって大阪に行くことになる。ふと思い出して連絡を入れたが、返事は返ってこなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?