SEP実務の現場から

「知財系 もっと Advent Calendar 2021」に投稿します。

この場をお借りして、SEP実務の現場の一例をご紹介したいと思います。
1. 概要
 この記事の大まかな流れは以下のようになっています:
(1) SEP実務とは
(2) Standardとは
(3) SEP実務の現場


2. SEP実務とは
 標準必須特許 (standard essential patent (SEP)) 実務について、「標準仕様に合致した特許権の取得および維持」とここでは定義したいと思います。
(1) 仕様に合致しているって?
 「仕様に合致している」とは、「標準仕様を、クレームがカバーしていること」と定義できると思います。仕様書の記載 (動作) が、「 Aという処理を実行した後、Bという条件が満たされたときにCという処理を実行する」とします。
A. 合致している例
 「 Aという処理を実行した後、Bという条件が満たされたときにCという処理を実行する (仕様とクレームの動作が合致している)」
B. 合致していない例 
 「Aという処理を実行した後、Bという条件が満たされたときにDという処理を実行する (仕様とクレームの動作が合致していない (DはCと異なり、包含関係もない))」
 その他、例えば光学部品に求められる仕様の場合、下記のような例が挙げられます:
C. 合致している例
  「受信感度は -29 dBmより高感度」という仕様に対して、製品の受信感度の最悪値が-32 dBm
D. 合致していない例
 「受信感度は -29 dBmより高感度」という仕様に対して、受信感度の最高値が-28 dBm


3. Standardとは
(1) Standard
 では、標準仕様 (standard specification) とは何なんでしょうか。それは、「ある機能や要求条件を満たす手段を色々な人たちが実現するための、最低限満たすべき取り決めやお作法、定量的な必達性能」という定義ができると思います。標準仕様の対義語として、独自仕様 (proprietary specification) が挙げられます。独自仕様の例として、第2世代の携帯電話の仕様は、日本ではPDCという独自の仕様でしたが、海外ではGSMという国際標準を採用していた国が多く、海外旅行の際、日本の携帯電話は海外で使えませんでした。PDCは国際標準ではありませんでした。
(2) 標準仕様の例
 私たちの身の回りは標準仕様であふれています。私は電気系を専門としていますので、思いつくものとすると、例えばUSB、LTE、5G、イーサネット、無線LANを挙げることができます。
A. USB
 コネクタ形状、ピンの数、配置、符号化方式等が標準仕様として定められています。USB Type-Cのレセプタクルコネクタは、下記の寸法を満たすように作りなさいと決められています (“USB Type-C Receptacle Interface Dimensions,” Figure 3-1, page 45, Universal Serial Bus Type-C Cable and Connector Specification, Release 2.1, USB 3.0 Promoter Group, May 2021)。画像の張り方がよくわかりません..
B. LTE、5G
 3GPPにおいては、第4世代の移動通信方式としてLTEが仕様化され、第5世代の移動通信方式として、5Gが仕様化されています。5Gは、NR (New Radio) 等とも呼ばれています。
C. イーサネット
 IEEE802.3においては、イーサネットの標準仕様が定められています。イーサネットは、デスクトップパソコン等にささっているLANケーブルを介した情報通信に関するルールを例えば定めています (これに限られません)。有線によるLAN接続は、だいたいギガビットイーサネットや10ギガビットイーサネットに準拠している場合がほとんどだと思います。皆さんが光ファイバによってインターネット接続する際、そのシステムは、IEEE802.3ah準拠の “GE-PON (gigabit Ethernet passive optical networks” を用いていることが多いと思います。GE-PONシステムでは、最大1 Gbit/sの通信が可能です。最近は10 Gbit/s版の “10G-EPON” (IEEE802.3av準拠) も使われ始めています。
D. 無線LAN
  IEEE802.11においては、無線LANの標準仕様が定められています。例えば、ノートパソコンやタブレットPCを使う場合、無線LANによってインターネットに接続することがあると思います。この場合、無線LANの仕様は、IEEE802.11において定められている場合がほとんどだと思います。余談ですが、Wi-Fiは、IEEE802.11準拠の無線LAN機器について、Wi-Fiアライアンスにおいて相互接続性が担保されているものです。そのような機器は、製造者 (ベンダ) が異なっていても相互に接続可能です。標準仕様準拠と、相互接続性とは別の問題であることに注意が必要です。装置化にあたっては各社の実装に委ねられている点が多くありますので、標準に準拠した製品でも、製造ベンダが異なるとビックリするくらいつながりません。疎通確認すら取れないこともままあります。Wi-Fiとかスマホとかすごいと思います。
(3) 標準仕様策定プロセス (IEEE802.3の場合)
 IEEE802.3を例にとり、標準仕様策定プロセスを紹介します。
A. 市場ニーズ
 市場ニーズを探って、「こんなもの作ろう!」というふわっとした目標を作ろうとする場があります。IEEE802.3では、 “Call for Interest” と呼ばれる会議があります。いわば、「興味ある人この指とまれ」という感じです。
B. 要求条件 (解決すべき課題) を決める
 その後、「この指にとまった」人たちが議論して、要求条件 (解決すべき課題) を決めます。例えば、情報通信でいうと、例えば、「距離として10 km 伝送し、伝送速度として 10 Gbit/s確保する」です。国や地域によって要求条件が異なるので、国際標準では仕様が複数種類定められることもあります。
C. 作業部隊
 仕様策定に特化した作業部隊 (IEEEだとタスクフォース) が作られます。議長や編集責任者を任命した後、関係者で仕様化のための議論が始まります。
D. 仕様化プロセスの例
 ここからは、仕様化のためのプロセスのうち、特にSEP実務に密接に関係するプロセスをご紹介します。概要だけでも知っておいた方が、SEP実務の理解が進むと思います。
(a) 会合開催
 定期的、例えば2か月毎に会合が開催され、会合の直前に各社が寄書 (きしょ、contribution) を提出します。寄書には、各社の自社技術に有利な仕様案が書かれています。例えば3GPPの5Gですとこちら、IEEE802.3の10ギガビットイーサネット (10GbE) の寄書はこちらで閲覧可能です。
(b) 議論および合意形成
 寄書に基づき、参加者が議論して仕様化に向けて合意形成がされます。IEEE802.3の場合、参加者の75 %以上の賛成が仕様化に必要です。自社の利益のために、自社に有利な仕様が標準として採用されることが標準仕様策定に関わる目的ですから、ドロドロとした光景も時折見ました。例えば、シェアの高い部品メーカの参加者が「うちの提案に賛成票入れないと、お前んとこに部品卸さないぞ」と脅した話は裏で聞いたことがあります。数が正義なことが多分にあるので、仕様策定においては人海戦術的な側面もあります。
(c) 標準仕様の策定 (仕様化)
 その後、標準仕様が正式に策定されます。仕様化にかかる時間は、いわゆる「この指とまれ」から、だいたい2-3年です。

4. SEP実務の現場
(1) SEP実務の流れ
 SEP実務の流れについて一例を紹介します。あくまで一例であることをご承知おきください。
A. 基礎出願
 発明者が明細書及び請求項等を書いて、基礎出願として特許出願します。各会合で寄書が出ると公開されてしまうので、寄書が提出及び公開される前に、「仕様はこうなるであろう」と想像して、明細書及びクレームを発明者は書いているようです。仕様がどうなるか分からないので、明細書及びクレームの内容は、最終的に策定される仕様とはあまり合っていないことがままあります。
B. 寄書の公開
 寄書が公開されます (発明が公開されます)。寄書は、引例として挙がることがしばしばです。他社出願の公開公報が引例として挙がることもよくあります。自分の出願 (発明者一部同一) の公開公報が引例として挙がることもときどきあります。
C. 仕様化
 その後、会合での議論を経て、標準仕様が定まります。SEPの出願はPCT出願の場合が多いと思いますが、各国移行前に仕様が定まっていることが多いように思います。
D. 補正
 移行時または移行後の所定時期に、仕様に合うようにクレームを自発補正することがよくあります。仕様化が早い場合、PCT出願の段階で仕様に合わせたクレームにすることもあります。
E. 審査
 実体審査が始まり、拒絶理由通知 (Office Action: OA) が発行されます。OAをもらうたびに、標準仕様に合いつつ、サポートがあり、明確で、進歩性がある記載にクレームが補正されていきます。仮にサポートがあるとしても、仕様合致のために必ずしも自由には補正できない分、対応案の検討はややこしいです。逆に、残念ながら、仕様合致が難しい場合に潔く諦めがつくという側面もあります。
 欧州や中国等、補正に対する制限が厳しい国では、移行時の自発補正について、新規事項追加を指摘されることが珍しくありません。基礎出願時の想定 (クレーム) と標準仕様が合わないことが多々あるので、クレームにサポートが無かったり、クレームの記載が不明確だったりします。明細書の記載が仕様と合っていない場合、仕様に合わせるために、曖昧な表現を選ばざるを得ず、欧州や中国で新規事項や明確性を指摘されることがよくあります。
F. 許可または断念
 晴れて、出願が許可されることもありますし、残念ながら仕様に沿ったクレームを書けずに権利化を断念することもときどきあります。感覚的には、権利化断念の割合は1割かそれ以下という印象です。
(2) 所感
 所感をつらつらと。
A. 楽しいところ
 楽しいところは、専門性が有利に働く点です。馴染みのある技術に関すると、発明の理解も速いし、発明者から任せてもらえる (気がする) ように思います。この場合、こちらの提案が通りやすく、主導権を握りやすいように思います。また、発明の理解が速いと、案件を効率よく処理できるので、売り上げを効率よく達成できるように思います。何より、こちらの主張や提案が顧客や審査官に通ると、純粋に楽しいです。
B. 要反省点
(a) 専門性
 専門性が不利に働くことがあるように思います。例えば、技術が分かり、思い入れが出て、発明者に寄りすぎた判断をしてしまうことがあるように思います。この点は反省の余地ありです。
(b) 国ごとの基準
 地域や国ごとに、審査における判断基準が異なるので、各国法令、規則、基準、実務慣行に合わせた適切な対応を取るための知識拡充が大変です。本当に大変です。特に、欧州の新規事項追加 (123条(2))、明確性 (84条) が厳し過ぎて、本当に疲れます。今もクタクタです。欧州出願の審査対応は、本当にエネルギーを使います。午前中に欧州出願のOAを検討すると、たいてい、午後は疲弊しています。
(c) どこまで頑張るか
 明細書の記載に基づいて拒絶理由を解消しようとしても、顧客が仕様に合わせたいポイントかどうかは必ずしもわかりません。そこで、あまり頑張りすぎずに、対応案を幾つか検討し、深入りすることなく早めに顧客に判断してもらうことがあります。この辺のバランス (どこまで頑張るか) は難しいです。
C. 愚痴 (気づき)
 このお仕事を通じた気付きは以下の通りです。もっとも、ごくごく当たり前のことが多いと思います。
(a) 段落ごとの記載量
 段落ごとの記載量は少ない方がいいなあと思います。意見書でサポート箇所を示すときに、段落当たりの記載量が多いと、具体的にどの記載をサポートとしているのかを探す作業に時間がかかります。その結果、意見書の量、作業量/作業時間が増えて、請求額が増えるかもしれないです..
 1段落でせいぜい5行くらいがよいように思います。OAをもらう頃には内容を忘れていることがよくあるでしょうから、段落当たりのボリュームが少ないとサポートを見つけやすく、作業もしやすくなると思います。段落当たりのボリュームが多いと、個人的に、実施形態を読むときになかなか息継ぎができず、疲れてしまうことがよくあります。
(b) 用語
 技術者独自の用語を当たり前のように使わない方がいいかなあと思います。よくわからない用語があると、何に合わせこんでいるのかわからなくなることがあります。また、明細書に、専門家には当たり前すぎる言葉だとしても、定義や基本的動作を書くのがいいのではと思います。
(c) 主体
 可能な範囲で、動作の主体をちゃんと書くことが好ましいと思います。主体が無いとサポートの主張時に苦しむことがあります。ただ、細かく詳細に書きすぎて、そのままクレームに載せるとなると構成要件が多くなってしまいますし、SEPという観点では仕様から外れてしまうことになりかねません。必要な範囲にとどめるのがいいのではないかと思います。それでも、動作主体、少なくとも、文章として主語は必須ではないでしょうか。主語が無いと翻訳者も困ってしまうと思います。日本語では、当たり前のように主語が省略されることが多いのですが。
(d) 中位概念
 中位概念の実施形態があるといいですね。欧州で、中間上位概念化を指摘されることがよくあります。
(e) 「でもよい」の著しい多用を避ける
 明細書における「でもよい」といった曖昧な表現は、便利な気もします。一方、課題解決に必須の構成が読み取れないことがあり、独立項のサポートとして用いられると、欧州審査で不明確と指摘されかねません (ガイドラインF-IV、4.3(iii))。読んでいて、「いったい、結局何が大事なのだろうか...」ともどかしいこともあります。明細書の補正作業は本当に疲弊します。

5. まとめ
 大変なところもあるにはあるけど、何だかんだで楽しいと思えることも増えてきました。皆さまありがとうございます。

6. 投稿に至った経緯
 なぜ今回投稿したかと言いますと、以前、野崎篤志さんや中村祥二さんと、「アウトプットや発信は大事」という話をtwitterでしたことがありました。つい最近、おつさん、まるさん、オモチさんがyoutubeで素晴らしいご発信をされてたのは記憶に新しいところです。
 アウトプットは、自分の頭の整理にもなるし、アウトプットのために調べたりするので、たいていインプットが多少なりとも発生します。自分のアウトプットがあって、他の方のツッコミをいただくことができれば、それはまた良いインプットになります。アウトプットこそ最大のインプットであるという側面はあると思います。突っ込んでくれた人たちともつながりが広がり、いいことずくめだと思います。
 また、なぜ、とち狂って初日に手を挙げたかというと、今日は私の誕生日だからです。母ちゃんありがとう。おめでとう自分。勇気振り絞ってよく頑張った! (おしまい)

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