知財業界でやっていく資質 (案)

  1. 概要
     私が知財業界に来ることになった経緯と、この業界でやっていく資質について思うところを供養したいと思います。当初、「知財業界に来るまで」「事務所」「この業界でやっていく資質」という時系列の流れを予定していたのですが、私の過去なんてどうでもいいでしょうから、順番を変えました。

  2. この業界でやっていく資質
     割と特許事務所寄りの意見かもしれませんが..
     (1) 学びの精神
     知らないことを、(できれば楽しんで) 学んでいけることは大事な資質だと思います。技術も、審査基準、法解釈も少しずつ積み重なっていきますから、今持っている知識だけでは明日以降やっていけないのではないでしょうか。常に自分をアップデートする必要があるのではないでしょうか。
     文系の方は特許に尻込みするかもしれませんが、ソフトウェア関連発明、ビジネス関連発明は文系の方でも十分にやっていける余地があると思います。ハードウェア資源のところ (情報の入力・出力・表示等の概要) を最低限理解する必要があると思いますが、普段スマホを触ってる方なら、少し勉強すれば理解できることだと思います。ちょっとはみ出して学べば、十分お仕事の領域が広がります。ただ、バイオ等、高度な専門知識が求められるところは自分含めてなかなか厳しいように思います。

(2) コミュニケーション能力・想像力
 顧客 (発明者、知財担当者)、審査官、上長、事務担当者とのコミュニケーション能力は欲しいですね。コミュニケーション能力は、自分にあまり無いので偉そうなこと言えないのですが..
 例えば所属組織内で言うと、感謝と謝罪を早めに正直に伝えることでしょうか。その他、ヤバい情報や、期限が近い案件の進捗状況を早めに伝えておくこと、可能であればF2Fや電話で手短に伝えておくこと、でしょうか。
 コミュニケーション能力は、対審査官だと、拒絶理由通知書から、審査官の意図を可能な限り読み取ることでしょう。電話で喋ってみると、審査官のキャラが少し窺い知れるので、ときどき電話面接してみるのはいいことだと思います。審査官も生身の人間です。
 ここでいう想像力は、「この文言は、こうも解釈できるな、ああも解釈できるな」ということの引き出しをたくさん持てることを意図しています。進歩性 (非自明性) の認定って結局、ここをある程度合理的・論理的に押さえられるかに帰着しませんかね。米国はちょっと振れ幅大きいように思いますが..
なお、奥様のお考えについては、私めの想像力に総動員令をかけてもいまだによく分かりません。修行の日々は続きます。

(3) 必殺技/専門分野・専門技術
 何か、柱となる技術分野が1つビシッとあると身の助けになると思います。お仕事をしていると、顧客の予算減などにより仕事が減ることもありますが、そしたら人事異動や転職によって環境を変えればよいのではないでしょうか。つぶしのきく必殺技があることは、自分の身を助けます。あまりにニッチ過ぎると、その担当顧客の業績が危うくなったときのリスクが高いと思いますので、それなりに市場規模がある領域やトレンドの領域で、専門性を高めるのがよいと思います。後は、新たな技術分野の知識を深めるのもよさそうですね。なお、意匠商標はちょっとわかりません。

(4) 英語ライティング
 英語ライティングを、ネイティブチェックをあまり要することなしに出来ると、外国関連のお仕事をする際に、担当可能な仕事が増えます。弁理士資格取る人は英語も出来るんだろうと思っていたのですが、意外や意外、苦手にしている人、全然できない人は少なからずいます。ほんとですよ。これは驚きでした。ですから、英語が出来て知財知識の素養があれば、飯の種には最低限事欠かないと言えると思います。なお、聞き取り・会話は、その機会が多いことはあまり一般的ではないと思いますので、優先度は下げてもよいかと思います。出来ると、取れる情報量、発信できる情報量は間違いなく増えますが。

(5) で、どうなのよっ!?
「(1) 学びの精神」を基本として、他の要素があればあるほど武器が増えると思います。「必殺技」、「専門知識」があると、その分野の仕事が沢山回ってくる確率が上がります。さらに知識を深められて、より多くの案件が降ってきて、品質も上がり、慣れると1件にかかる時間が短くなり、結果として単価が上がるという好循環になると思います (請求体系にもよりましょうが)。武器は多いに越したことはないです。私は発明発掘をあまりやっていないのですが、コミュニケーション能力が上がると、質の良い発明発掘にもつながるだろうし、面談で、発明者が当初考えていたものより良いものに昇華させられるような気がします。

3. 知財業界に来るまで
 さて、上記の考えに至った経緯、私めのバックグラウンドを下記供養します。
(1) R&Dその1
 情報通信の分野で研究開発をやっていました。主に光通信でしょうか。最初の何年かは指導者から放っておかれて、今思うとちょっときつかったです。当時、大まかなテーマだけ与えられて、あとよろしく、好きにやって、みたいな感じでした。3年くらいすると、その指導者の人事異動に伴い、研究テーマが変わりました。「こんな夢みたいなテーマありえないだろ」みたいな感じで、多少現実路線のテーマになりました。また、割と「こうやってみたら?」的に、具体的な行動方針案を示してもらえるようになりました。人それぞれだとは思いますが、私にはこっちのアプローチ、つまり、割と、答に誘導してくれる指導方針が合っていたように思います。
 その後、この分野で割とインパクトのある成果が運よく出ました。おかげで国際会議にもいくつか行かせてもらったし、学術論文を何件か書かせてもらうことになりました。
(2) 国際標準化活動
 IEEEという団体での国際標準活動に関わるお仕事に従事することとなりました。IEEEって言われると、「??」な方が多いかもしれませんが、パソコンにささってるLANケーブルは、イーサネットという規格 (IEEE802.3) に準拠した情報通信をつなげていますから、身近なものといえるでしょう。IEEE802.11は無線LANの規格 (Wi-Fiとか) です。
 私が周りより割と英語が出来たので、「やってみる?」と打診が上長から入ったように思います。手を挙げたのは、多分に「会社のお金で海外出張したい」「外国のお仕事をしてみたい」という動機によるものでした。英語ができたと言っても、TOEICのスコアでは、当時、960点 +/-15 だったでしょうか。個人的に、TOEICのスコアはTOEICの能力であって、英語コミュニケーション能力を必ずしも正確に反映するものではない、という考えです。ただ、参考にする人は参考にするので、英語を使った仕事をしたい人は、チャンスを得るための道具としてスコアを追求するのは理にかなうと思います。 年に7-8回、中国、アメリカ、欧州に出張する日々が3年ほど続きました。
 この経験で得られたものは、個人的には3つあると思っています。
A. 物怖じしない・失敗を恐れない
 この会議では、各社が自社技術をプレゼンします (5-10分)。これはまだ、カンペも作れるしいいのです。ただ、口頭で、コメントしたり反対意見を述べるためには、会議室の真ん中後方に置かれたマイクの前で立って、英語で意見を主張する必要がありました。周りはアメリカ人、ポーランド人、モルドバ人、イスラエル人、中国人、その他、非日本語話者以外です。やってみないとわからないと思うのですが、これは、割と勇気が要る作業でした。日本人は、ディベートや、人前で意見を述べるという訓練をあまり受けてないという事情もあるかと思います。外国の人たちは、意見が違うことと、違う意見の人を受け容れないこととを明確に区別しているように感じました。この経験のおかげで、以降、会議とかで何か発言をする際のハードルはだいぶ下がりました。
 また、自分の失敗について、他人は特に気にしていない (興味がない) こと、自分も、他人のやらかしなんてすぐ忘れるということに気づきました。さらに、自分が何かコメントすれば他人にとっての気付きにもなるし、自分が喋っている間に自分の中で疑問が解決するというメリットがあることもわかりました。普段、私がしゃしゃり出ているのは多分にこういう事情によるものです (嫌なときはその旨言っていただければ静かにします)。

B. 英語ライティング
 この活動では、 "Editor-in-chief" という役職に手を挙げました。要は、特定の仕様書の編集責任者です。何だかはみ出したくなって手を挙げました。この活動を通じて、英文を書く機会が格段に増えたので、英文ライティング能力も上がったと思います。今は法律関係の文書を書くので、当時の活動は今の仕事の基礎になっていると思います。IEEE802.3 (イーサネット) の仕様書のどこかには私の英文が入っています。ちょっと感慨深いです。

C. マイル
 外国出張でスターアライアンス系のマイルが沢山たまりました。このマイルでドイツに家族旅行に行けました。

(3) 暗黒時代
 社内の定期人事異動で、グループ会社の設備部門に異動しました。設備部門なので、収益を上げるというよりは、ひたすらコストカットでした。設備を販売するという要素もありましたが..
 上長が最悪で、机バンバン、罵詈雑言のパワハラという日々が続きました。こんなことを自分が当事者として体験することになろうとは想像だにしていませんでした。週1のミーティングの度に、「日比谷公園にあるあの時計塔の上から、ゴルゴが狙撃してくれないかな」と思っていました。周りの人たちは互いに助け合うゆとりもなく、あまり助けてくれる人もいなくて、毎日が辛かったです。メンタルに来ると、人って身なりに気を遣わなくなるみたいです。当時、髭を剃らず、髪も整えず、という日もあったように思います。鏡に映った自分の、輪をかけたみすぼらしさにショックを受けたこともありました。
 ただ、利益をあげることって本当に大変なんだと身をもって知りました。結局、身を守るためにも、人事に言って、2年で研究部門に戻してもらいました。7月1日が最短での異動だったので、その年は正月から毎日指折って数えていました。1月1日から6月30日までは181日だと思います (うるう年除く)。

(4) R&Dその2
 研究部門に戻ったものの、何かが違って空しい日々が続きました。2年間のパワハラ期間中、自分は「コスト」の名のもとに毎日辛い思いをしていたのに、研究部門はノホホンと、のんびりとお金を好きに使ってタラタラ仕事していて、自分の2年は何だったんだと。当時、出世は最早ではなかったけど1年遅れ位でしたでしょうか。でも、こんな心では仕事も楽しくなくて、出世も遅れるばかりで、一層辛い社会人人生でした。

(5) 転機
 ある春に、同僚が人事異動するというので事情を聞いてみたら「弁理士資格を取ったので知財部に異動する」とのこと。彼に聞いてみると「英語ができれば需要はある」らしい。ということで、翌週末にはLEC新宿にガイダンスを聞きに行って、その後ほどなくして、宮口先生のベーシックコースに50万円ほど振り込んだでしょうか。その後2月後には今の勤め先に採用してもらいました。転職活動は、履歴書と職務経歴書を5つくらいの事務所に送ったところ面接してくれたのが今の勤め先です。履歴書を送ったうち、今の勤め先以外だと、1つは「うちではその分野の仕事がない」、で、他は返事がありませんでした。

4. 知財業界
(1) 国内顧客
 配属先の顧客は国内の会社でした。この顧客は国内外に広く出願をしていて、日本実務、外国実務の貴重な経験をさせてもらえました。明細書は顧客が書いていたので、明細書は自分で書くことがあまりありませんでした。最初、特許実務はなかなか難しかったものの、英文ライティングが出来て、技術そのものは割と分かったので、何とか食いつなげたように思います。
(2) 外国顧客
 その後いろいろあって、外国顧客の業務になりました。こちらでは、日本出願が主なお仕事ですが、拒絶理由通知書の英訳やコメント作成にこれまでの経験が着実に役立っています。専門性と、英語での書面作成が何とかなること、欧州米国の実務に多少慣れていると、外国顧客と話すのに活きるように感じています。

5. まとめ
 求められていること (法知識+α) はさほど複雑でないので、やり方さえ間違えなければ楽しくやっていけると思いますよ。いつか飲みまひょ!

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