もう十分に楽してる

あー楽に生きたい、便利な暮らしがしたい
と、お思いの方も多いのでは。

私も「楽したい病」をもってます。
今日は私なりの「楽」のお話。

たくさんの便利

本で読んだかSNSで見かけたか忘れましたが、
「人間は元から、楽をしたい、現状維持をしたい」
そういう生き物なんだそうです。

わかるわぁって感じよね。

徒歩から馬に、自転車に、バイクに車に、電車に新幹線、果ては飛行機と。
移動の時間を短縮することで、時間や労力を削減。

便利で楽ちんで、時間に余裕ができる。と。

楽したいを原動力に、便利な道具や仕組みが生み出されてきました。

部屋や職場を見渡してみると、たしかにいっぱいある「便利」なものの数々。

こんなに便利なのに、楽じゃない私

すでにめちゃくちゃ便利な暮らしのはずなのに、あんまり楽をしている気がしないのは、なんでなん?
私だけのあるあるなのか、みんなも同じ気持ちなのか。

・「楽の基準」が高い
・自分にとっての「楽」を見失っている

このあたりが怪しいんじゃないかと思っております。

「楽の基準」が高い

手洗いで洗濯をしている人が洗濯機を使えば、すっごい便利!てなるだろうし。
火を起こしてお米を炊いている人が炊飯器を使えば、やばいナニコレ?ってなるだろうし。

しかし私たち世代は、生まれた時から電化製品に囲まれて生きてきたので、これあるとめっちゃ楽やわぁ〜って経験が、あんまり無いんですよね。

便利で楽な生活は、すでに多くの人が享受している。
「楽」の基準がべらぼうに高いのが、今の暮らしなんじゃ無いでしょうか。

自分にとっての「楽」を見失っている

すでに十分便利で楽なはずなのに、それでも「楽」だと感じられない。

ってことは、自分にとって「何が楽なのかもうわかんなーい」ってことなのかなと、思うわけです。

めっちゃ小さい具体例やけど、たとえば

「サッシを綺麗にする専用のブラシ」

これって暮らしを便利に楽にするために作られたアイテム。

でも私がこれを手に入れて、すごく楽で便利かと言われると、ぜんぜん楽じゃない。

・サッシを綺麗にしないといけない(めんどくさい)
・使ったブラシを綺麗にしないといけない(めんどくさい)
・ブラシの保管場所を用意しないといけない(めんどくさい)

「1楽」を得るために「3めんどくさい」が付随してくるんです。
ほら、ぜんぜん楽じゃない!!笑

サッシを掃除するだけなら、ティッシュか雑巾か、細かいとこが気になるなら使い古しの歯ブラシでOKなんです。私の場合はね。

でも私の「3めんどくさい」が、まったく面倒に思わない人もいるので、そういう人からすると、サッシを綺麗にする専用ブラシは、便利で楽なアイテムとして、目的通りに機能するんでしょうね。

自分にとっての「楽」がわかんなくなると、便利で楽なものも、面倒臭いの原因になると思うのです。

「楽」って人それぞれ

誰かの「楽」をむやみやたらに取り入れてしまうと、息苦しくるもの。

サッシ専用のブラシは例えがちっちゃすぎる気もしますが、いろんなことに、こういう現象が起きているのではないかなと思います。

これがあれば「便利」
これを持っていると「楽」

そんなものは人によって異なるので、なんでもかんでも素直に手を出しちゃうのは、自分の「楽」から遠ざかっていくように思います。

「ちょっといいもの」とか「丁寧な暮らし」とか「おしゃれなライフスタイル」とかが、該当しますね。

あとは仕事や行政のもろもろの「手続き」もそうかも。
便利で楽に結果を出そう、目的を果たそうとしてるはずなのに。
あっちにこっちに気を配り、どんどん手続きが煩雑になってしまって、結局何だか忙しい。

システムは自体が便利でも、使う側の人が「楽」かどうかは、また別の話なんでしょう。

目標が高すぎたり本来の目的とずれてたりすると、便利でも楽でもなくなっちゃうよと。

スマホもそうだね。便利だけど楽だけど、いろんな情報を身すぎたり、本当に知りたいことにたどり着けなかったり、コミュニケーションに疲れたり。
自分の「楽」に、なってないこともある。

まとめ

あぁ私たちはもう十分に楽な暮らしをしているんだな。
でもどうして「楽」だと思えないんだろう?

そう感じたときはチャンスです。

誰かの「楽」は、いったん横に置いといて。
自分の「楽」を確かめてみると、ほんとの楽が実感できる。かも。

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