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一回目)風の声

 夏の終わりの夜明け前。

遠くの方からざわざわと音がして、シンラは朝早く目を覚ましました。
朝だと言っても、樹が吐き出す淡い空気の匂いや、朝霧の混じった湿った風。そんなものを感じながら、朝がきたなぁと身構えるくらいでした。

いつまでも寝ていても怒ってくれる仲間もさほどいないのですが、なんとなく毎日一番に起きて外でさえずるのが彼の日課でした。

そのうち、手足に光があたるとそこだけが暖かくなってきます。

シンラは目が見えないから、誰よりも早く起きたかったのです。
誰よりも早くお日さんの日差しを感じたくて、高い杉の木を選んで住んでいました。
シンラにとっては、朝日は見るものではなくて、感じるものでした。

でも、今日は、夜中から雰囲気が違っていて、湿り気がある空気と、雨が降る前の強い風でした。
そんなものが吹く日は、暖かい日差しは羽根を温めてはくれないけれど、遥か遥か遠くの音を運んでくれました。

夜明け前の一番暗い空の下です。

遠い、遠い場所で唸っている遠雷の低い音や、天が裂けるように閃く、体に震えがくるような音。
程なく、たくさんの虫が世界の木の葉を一斉に食べ始めたような雨粒が落ちる音がしはじめると、一気に空気が重くなりました。

こんな日は飛ぶのにも苦労します。
羽根が重くて、疲れ果てて飛べやしません。高いところには、虫もいなくなるから、下の方を飛ぶ鳥ばかりです。
特にシンラは体力がなくって、疲れやすかったので、今日一日の雨のことを考えていました。今日の風は変でした。

雨が降る前は、前日からわかるのに今日は全くわからずに、苛々とした落ち込んだ気分で過ごしていました。

憂鬱な気分で空を木穴から見上げて落ちてくる雨粒を口を開けて飲んだりして眠れない夜の退屈をごまかしていました。

シンラは目は見えなかったのですが、それでも耳だけは他の誰よりも優れていたので高い高い木の上でいつもみんなのために危険を察知する役目を果たしていると思っていて、実際に森のみんなからも、頼りにされていました。

シンラの耳は本当に素晴らしい。
冬の嵐がくるときには、シンラなしではいられない。
そんな歌が時折歌われる時もありました。

シンラが感じた今日の空気と音はいつもと違っていて、重い重い湿気の多い風と、たくさんの虫が森中の草木を喰むような雨音をさせている中、小さな羽の音が近づいてきていて、いまにも落ちそうになっているのを知りました。

ーーこんな夜中に飛ぶなんて、どこのおばかさんだろう。
雲の切れ目から見えた青い三日月さんが言いました。

シンラは、その羽ばたく音をもっとよく聴こうとして、細い二本の足で歩いて枝を飛び飛び跳ねて、てっぺんまで登って行きました。

もうすぐ夜明けになるのかもしれません。
雲は霧のように木々を包み込んでいるけれど、高い高い木の上からは少しずつ、霧が晴れはじめているのが匂いでわかりました。

シンラは森の中で一番大きな木の枝に止まってじっと耳をすませました。鳥の羽ばたくような音はだんだんと近づいてきて、シンラの隣に雨水を跳ね散らしながらではあったけど、控えめにそっと何か止まったようでした。お日さんは西の空から光を時々まだらに落とし始めていて、時折、顔をのぞかせて言いました。

おひさんが呟きます。
ーーおやおや、見慣れない鳥が来たね。なんてきれいな羽をしてるんだろう。

シンラはそんなお日さんの声を聞こえないふりをして、ふんと鼻をならしました。
「この森に入るにはぼくの許可がいるんだよ。さぁ、どうしてここへきたのか教えてもらおう、ぼくはこの森を守ってるんだ。」

 隣にいる鳥がびくっとしたのがわかりました。小さな声でその鳥はささやきました。

「南の森へ行く途中に仲間とはぐれてしまったの。羽をちょっとけがしてしまって」
 その鳥は渡り鳥なのでした。シンラはわざとらしく咳払いをしました。

「ぼくは目が見えないけど、耳は世界一なんだ。きみには信じられないかもしれないけど、目が見えなくてもぼくは全く困らないからね。風やお日さんの声だって聞くことができる。きみがやってくるのもすいぶん前からわかっていたんだ」

 渡り鳥が息をのんだのがわかりました。シンは誇らしそうに続けます。
「ぼくのおかげで嵐が来るときも、人間がくるときもすぐに安全なところに隠れることができるってわけさ」
 お日さんはわざとらしくくしゃみをしました。渡り鳥はおずおずと頼みました。
「けがが治るまでこの森にいたいのだけど。この羽では遠くまで飛べないから」
 シンラはもったいぶって答えました。
「まぁ、いいだろう、よくなるまではね」
 シンラは木のうろにある自分の巣へ渡り鳥を連れていきました。
「けがが治るまではここにいてもいいことにしてやろう」

 渡り鳥はありがとう、と小さな声で答えました。

渡り鳥は宝石のように美しい羽を持っていました。
美しいだけでなく、とても良い匂いがしていて、その声も透き通るような響きを持っていました。

シンラは得意になって、
「うちには、とても良い匂いのする綺麗な声のお客さんが来たんだよ。怪我をしているから僕が面倒をみてあげてるんだ」

そう言うと、友達の鳥が一羽そっと、シンラのお家を覗きに来ました。
「こりゃたまげた!なんて綺麗な鳥なんだ!俺らこんな綺麗な鳥なんか見たことない!」

そう言って、転げ落ちそうになりながら、シンラのお家を尋ねてきました。
「お嬢さん、どちらから来られたんですか?たいそう綺麗な姿をしてらっしゃる」
シンラのおうちに勝手に入り込んできた鳥は、お客さんに向かって話しかけました。

「なんだい!君は失礼なやつだな!勝手に人のうちに入ってきて、僕に挨拶もしないのかい?そんな失礼なやつは出ていけ!」
シンラは、そうやって友達の鳥を追い出しました。

シンラは、そのお客さんの声が綺麗なのは知っていて、とても良い匂いがすることも知っていたけれど、目に見える美しさなんてわからなかったのです。
どんなふうに綺麗なんだろうと思うと、見えない目がこんなに辛く恨めしく思えたことはありませんでした。

お客さんとして迎えられた鳥は、ブルームと言いました。
シンラはブルームに言いました。
「きみはとてもきれいらしいね。でもぼくはそれがわからなくって、みんなに言いふらしてしまった。みんなに知られてしまったら、きみがどこかに拐われてしまうかもしれない。きみはみんなの前で自分の名前を言っちゃいけないよ。」

ブルームは、ちょっと怖がって「はい!」と答えました。
ブルームにとっては、仲間とはぐれてしまった今となっては、シンラがただ一羽の頼れる鳥だったのです。

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