声がデカイ奴が勝つしデカイ声がおもろい説という戯言
いわゆるインターネッツというやつだ。
5ちゃんねるでもほぼROM専だったし、Twitterでも特に思い立ったことをつぶやくこともあまりしてこなかった。
だけど、それでええんか?と思うようになった、最近。
学校でも会社でもどんな場でもだいたい声がデカイやつが目立っていたし、会議などの場面でさえ何の中身もないことでも、声がデカイだけの奴、明るく話すだけの奴がいつも評価されがちではないだろうか?
そういう場面に遭遇したことが読者諸氏も経験がないだろうか?
だけど、それでええんか?と
我々の様な普段から目立つことを好まない人間にとって、何か自分の意見を発することは、即ち”声を上げる” と例えていいくらい結構面倒なものじゃないだろうか・・・。
しかしそういう人間は、どんなに独創的だろうが、どんなに革新的だろうが、どんなに進歩的だろうが、一様に評価されずにいずれ忘れられるのが落ちだったんじゃないか?と。
声がデカイだけで?快活で?いつもハキハキと明瞭に?中身のないことを格好つけて?何なら流行りのカタカナワードも使っちゃったりして?結局あいつらが勝ってないか・・・?と
それでええんか・・・?と
なー?きみら・・・。
そんな風に最近思ってきたのだ。
「だったら実践してみよう」と。
どうでもいいこと、しょうもないこと、他愛もないこと、評価に値しないこと、見向きもされないと自身で決めつけているようなことでも、吐き出していこうと、そう思って最近、意識的にTwitterやyoutubeコメントやYahooニュースコメントや5ちゃんねるで意思表示するようにしている。
海外のyoutube動画でさえ英語でわざわざコメントを残したりしている。
結局、言ったもん勝ちな気がするからだ。
私だって以前は、そんな場所でコメントやレスを付けるのは馬鹿らしい、或いはあざ笑うような立場であった。
斜に構えていただけだった。
しかし、これまでそういって拒んでいたものから敢えてそれらに積極参加してみるのだ。
「このインターネッツを”彼ら”だけのものにしておきたくはない」という意志を投じることにしたのだ。
声がデカイ奴がおもしろく、声がデカイ奴が評価され、声がデカイ奴が勝ち続けるのをずーーーーーっと横目で見続けさせられてきた。
そんなのはもう嫌だと。
思う。
まじで。
つまんねーんだよ、声がデカイだけの奴は。
声量のことだけを言ってるんじゃない、口数が多いやつも。
とにかくそいう奴が世間に五万といるでしょうが、あなたの身近にも。
遠慮する必要などない、おどおどと狼狽えることはない、とにかく声に出せばいいんだ。
なんせ、うちらみたいな、まあいわゆる根暗な人間ってのは頭の中じゃ常にいつもごちゃごちゃと人一倍に思考を巡らせているのだから、ただその一端を見せつけるだけで、今まで姦しかった奴らも黙ってしまう。
(これは実践で実証済みだ)
いや、もしかすると逆に口封じしてくる輩もいるかもしれない、最初はね。
煙たく思われるだろう。
だけど、気にすることはない、彼らに構うな。一切構うな。
滅気ずにずーっと喋り続けるのだ。吐き出せ。
彼らのように、声をデカくして快活に、ただそれだけだ。
ああ、実生活ではそうしよう実生活ではね。
話を戻す。
インターネッツに置いても、
これまではネットに顔を晒してカメラ前で話すようなやつはキチガイだと、そういう感覚でいた世代がほとんどだっただろうし、youtubeがこんなに当たり前のメディアになるなんて思ってもなかっただろう、少なくとも5年くらい前まではそういうかんじだっただろう。
2008年以降の爆発的なスマホの普及とTwitterの市民化が大きな要因なのは間違いないだろう。
更にここ1、2年で芸能人でさえ多くのyoutubeチャンネルを開設するようになり、芸人第七世代の霜降り明星などは毎日動画を更新している状況ではないか、毎日だ。毎日だぞ?すごいな。
まあその話とその世代の話はまた今度するとして。
とにかく何の抵抗もなくyoutube、Twitter、Facebookなどに顔を晒して好き勝手している、彼らこそ自由じゃないか、おもしろいおもしろくないは置いておいてだが。
いや今やこれが”おもしろい”んだよ、少なくともそういうことになってる。
受け入れよう、いい加減。
インターネッツ時代の人間は、無記名での発言でこそ自由に好き勝手言いたい放題できて自由だったと懐かしむ諸氏もいるだろうが、今や晒す晒さないのボーダーすらどうでもいいことになっている、ほんとマぁジでだ。
炎上しちゃう有名人がTwitterで一般人とされる鬼っ子たちとバトって「顔も晒さずに好き勝手言うな!!」とかキレてるのはある種とても滑稽だよね。
別に関係ない。
顔を晒そうと、本名を晒そうと、彼らSNS世代にとっては、あるいは実生活ならそういう”声のデカイ奴”にとっては関係がないのだから。
まったく違う人種だと思ってもらっていいんじゃないかと、彼らをそういう位置づけで見るべきだし、その方が我々(時にSNSに疲れてしまうタイプの人)にとっても少し気が楽になれるんじゃないかと。
そう私の中で結論が出た。
だから私は冒頭申し上げた通り、とにかく彼らに構わず、一切気にせず、好きなことを好きなだけ好きなように吐き出し続ける。
それを大いに推奨する。
但し、これは私がまさに今現在、実践中のことであって、故にこれらの実践から今後、更にPDCAを繰り返すことでまた違う帰結にたどり着くだろう。
私が、とにかく言いたいことは
→声がデカイ奴が勝つ
→うぜえ!
→知るか!デカイ声を出せ!おー!
サンシャイン池崎おもろいなーw
やっぱデカイ声がおもろい説あるなー(^q^)
前のyoutubeチャンネルから登録してたよ
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