「犬山日本一桃太郎会」では会員を募集しています! 犬山日本一桃太郎会は、吉田初三郎(鳥観図師)が昭和 4 年に結成した「日本一桃太郎会」になら い、犬山を日本一の桃太郎伝説地にし、「犬山で桃太郎に出会う」をテーマにその魅力を伝えるため に2024年に結成されました。 2030 年に桃太郎神社が遷座 100 年を迎えるのを期に、様々な情報発信を計画しております。 犬山や桃太郎に興味のある方はどなたでも歓迎しております。 ◆会費無料 ◆犬山のイベント情報・桃太郎情報をお届けしま
以前桃太郎神社付近の山には野生の猿が生息していました。 昭和9年には九州の幸島と共に天然記念物に指定されていましたが、いつの間にかいなくなってしまいました。 昭和31年「財団法人日本モンキーセンター」設立 京都大学、東京大学、名古屋鉄道の協力で、野猿の生態研究と実験用猿供給源を作り人類起源の探求を目的として設立されました。 愛知県で2番目に博物館法の適用を受け、登録博物館となりました。 昭和32年「野猿公苑」開設 九州の屋久島で捕獲した約80匹の野生ニホン猿を、約1年
昭和時代に犬山桃太郎伝説地の絵葉書が多く発行されました。 そのケースが意匠をこらし面白い、思わずジャケ買いしてしまいそうです。 当時はカラー写真を使うことが技術的に難しく高価な時代だった。 味のあるデザインをご覧下さい。 桃太郎屋敷発行 桃太郎屋敷のケースは三つ折りして絵葉書を挟む簡易的なものであった。 桃太郎公園内にあった桃太郎屋敷、「経営者 後藤利兵衛」の名が見える。 これは、桃太郎神社建設に私財を投じた「青柳ういろう」の青柳総本舗社長の後藤利兵衛氏のことです。
古くから日本ライン周辺には桃太郎のお話にちなんだ地名が多く残っています。昭和に発行された絵葉書で桃太郎伝説地を巡ってみましょう。 大桃の桃の木から落ちた桃が川を下って洗濯岩で拾われた
犬山の郷土玩具作家、前田南強。 犬山橋近くの宝玉荘というお店で郷土玩具などを製造販売していた。 初めてお店へ行った時、南強さんは既に亡くなられ奥さんが店番をしていた、残された土人形を細々と商っているた。「近々新しい橋のが出来るので立ち退きする」のだという。次の機会は無いと思い、これは手に入れておかねばと、比較的大きな桃太郎の土人形を買って帰った。 ここから私の前田南強のコレクションが始まった。 はっきりと覚えていないが、おそらく1990年代のことだったと思う。 (当時犬山橋は
犬山市観光戦略(2020年版)に犬山の名物名産品のイメージアンケートがある。1位は思い浮かぶ物が無い:53%、2位はきびだんご:19.3%、3位げんこつ飴:16.6%…。 無論きびだんごは、桃太郎のイメージ。ここでも犬山の桃太郎は頑張っています。 2点は、むさしやのラベル。犬山橋詰には現存していません。 昭和のお土産。 横文字の左始まり右始まりの違いから、 「桃太郎きび團子」は戦前、「桃太郎金花糖」は戦後と思われます。 電話も双方で違っています。 梅月はお店の屋号なのかブ
一般的には、昭和5年(1930年)に三大伝説地(岡山、高松、犬山)が揃って声を上げたといわれている。 犬山の場合、桃太郎神社が現在の位置に遷座した年(昭和5年)を以て宣言の年とされている。 実は、犬山は前年の昭和4年には「木曽川河畔が桃太郎の生地」と新聞報道されていた。 おそらく最初の報道は昭和4年3月8日付けの報知新聞だと思われる。 報知新聞の記者であり童話研究者であった中田千畝の「木曽河畔とわかった桃太郎さんの生地」という現地取材記事です。 次いで、3月17日付けの伊
桃太郎神社が遷座(昭和5年)する前から犬山の桃太郞伝説は、いろいろな形で雑誌に紹介されてきた。 「アサヒグラフ」では、吉田初三郎が読者の質問に答える形で記事が掲載されてる。 「時事世界」では、民俗学者で児童文学研究者の者藤沢衛彦が署名入りの記事を掲載している。
桃太郎神社は昭和5年に桃山から遷座しました。 現在の桃太郎神社を知る人にとってその変化は非常に興味深いものとなっています。当時の絵葉書で紹介します。 建築されたばかりの桃太郎神社 拝殿から奥の本殿を臨む。現在の拝殿と比較すると略式の質素であった事が判る。 桃太郎公園は栗栖公園と表記され「日本一桃太郎さん参道」の標柱が立っている。隣には由緒書と思われる看板が設置されている、「日本一桃太郎会」の名前が見える。奥には「この山の野猿を愛して下さいの立て札が見える。 現在もある
山の神と子供社そして桃太郎神社の成立 古くから犬山栗栖地区には山神信仰がありました。山の神を祀るヤマノコ行事が行われてきた。ヤマノコとは「山の講」「山の子」などと記されている。「山神様」として信仰の対象となっていた。 犬山市史・別巻(文化財・民俗)には栗栖の山の神についての記述がある。 『山神は子供の神様として崇敬されている。子供が夜泣きすると、山神に参り、治るとセイタケゴヘイ(竹を子供の身長の長さに切って、それに御幣をさしたものをたずさえて、お礼参りにいく。そのとき、オ
「犬山日本一桃太郎会」は、「桃太郎発祥伝説地に関する一考察」で犬山が桃太郞伝説地であると発表した、鳥瞰図絵師の吉田初三郎が昭和4年に結成した「日本一桃太郎会」にならい、犬山を日本一の桃太郎伝説地にし、「犬山で桃太郎と出会う」をテーマにその魅力を伝えるために結成されました。 このnoteは桃太郞好きの 「犬山日本一桃太郎会」ホームページ のスピンオフ版です。 桃太郞の三大伝説地は、岡山県岡山市・総社市、香川県高松市、そして愛知県犬山市といわれています。 多くの人は「桃太郞と