コラム3

あわら四方山話その1
夜ストの1回目が終わり、出演された踊り子さん達全員がステージ上でトークをしているタイミングで、温泉客と思われる数人の男性客が劇場に入ってきた。

その内の2人組の男性と劇場の外で喫煙中に雑談をする機会があった。他愛のない話をしていると、近所のスナックに勤める女性スタッフが通りがかった。

「ねーちゃん、どこのお店の人?」
「ナンバーワンでしょ?」
などと男性が声をかけて最後に、

「途中で飽きたら行くわ」

と伝え、観劇後にお店へ寄る口約束を交わした。

私は男性の言い放ち方が少しショックで、瞬時に聞き流すことが出来ないまま、2人の男性と再び場内へ戻り、2回目のステージ開始をそれぞれの座席で待機した。

夜ストの2回目は、劇場スタッフがマナー喚起やルール違反の注意をアナウンスすることが度々あり、場内に緊張感が持ち込まれたように感じて嫌だった。また、この緊張感は、「男性的」な威圧感だなと思った。そもそもストリップ自体が男性的な側面が未だに色濃い文化なので、矛盾した感情かもしれないけれど。

ストリップに理解のあるお客さんが集中していた1回目の空気と打って変わった2回目のステージは、偶然にも「女性らしさ」と言う物へのアンチテーゼと、その反面「女性らしさ」を磨き上げたようなチェアと立ち上がりが共存しているようなeyeさんの演目からのスタートとなった。演目に込められているであろうメッセージに加えて、eyeさんの持つ高い表現力と、場内の空気を跳ね返そうとしているように感じる力強さを目の当たりにして、ステージ上のパフォーマンスが凄まじい武器の様に感じた。

傷つけたり殺したりしない武器。
何かを変えてしまう、裏返してしまう、そう言う類の武器。

eyeさんのステージ以降、黒井ひとみさんのステージも七瀬ゆらさんのステージも、引き続き同じような感覚で最後まで拝見した。

姿形は違えど、皆が磨き上げてきた鋭く力強くしなやかな武器は、それぞれのステージで空気をしっかりと作り出し、場内を飲み込んでいたように感じた。思い返せば、昨年のまさご座でも、eyeさんが8周年作で冷やかしのお客さんをパフォーマンスだけで黙らせていたっけなと思い出した。

「途中で飽きたら行くわ」

1時間ほど前にそう言っていた男性客が、この日の最後のステージを務め終えた七瀬ゆらさんにかけた言葉は、

「感動した、芸術やわ」

だった。

表現力の凄さを目の当たりにした芦原の夜だった。

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